4月2日に公開する『愛しきソナ』が日本の公開に先駆けて、3月4日に、北朝鮮との関係がますます不安定化している韓国で上映され、報道では見ることが適わない北朝鮮の日常の映像はもちろん在日2世の監督が北朝鮮を題材にした作品ということで大きな反響をいただきました。

Q 北朝鮮に関する映画を作ったことで、家族の方に問題はありませんでしたか。
A 幸いなことに兄達の家族の生活に問題はありません。私が北朝鮮の事情に関して、問題のおきるような映画は作らないだろうと、家族みんながよく知っていました。兄たちは「おまえだけが自由な日本にいるんだから、おまえがしたいと思ったのは何でもしてほしい」と言ってくれたので、申し訳ない気がする反面、有難くも思っています。なので、もっと一生懸命映画を作らなければならないと思っています。勿論毎日、北朝鮮の家族達と大阪の母のことを心配しています。<愛しきソナ>の記事や放送が日本で流れるともっとそうでしょう。私のせいで家族に迷惑をかけないように、また、家族を守るためにも、もっと私の家族を世界で有名にしたいと思っています。いつも家族のことが心配ですが、そんな理由で創作をあきらめたら、日本で暮らしているのに、北朝鮮の規則に拘束されるのと同じことで、これはナンセンスだと思います。

Q 韓国では <グッバイ、ピョンヤン> 、日本では<愛しきソナ>、映画祭ではというタイトルですね。どうして映画のタイトルが全部違いますか。それぞれのタイトルの中に含まれている意味は何でしょうか。
A まず、前作の<ディア・ピョンヤン>が公開された時、そんなに憎々しいピョンヤンの前でどうしてディアという親密な言葉をつけたのか、みなさんから言われたんですけれども、<ディア・ピョンヤン>のピョンヤンは政治色が全然ない単なる家族が暮らしている場所の名に過ぎないです。自分の家族や友達が暮らしている地名はほかの場所よりもっと親しく感じますね。私にとってピョンヤンも同じでした。それで<ディア・ピョンヤン>というタイトルができました。韓国の公開のタイトルは韓国の制作会社と相談して深思熟考したあげく決めたんですが、<グッバイ、ピョンヤン>のピョンヤンは私と家族に会えないように判断を下すピョンヤンの政治色に対するグッバイ、そして、今ピョンヤンの家族と一時的にグッバイしている状況ですが、いつか必ず合えるという切なる希望の心を込めてタイトルを決めました。<愛しきソナ>、というタイトルは姪のソナの成長とソナに対する私の愛を描いただけでなく、姿やいろんな状況がまるで私の分身のように感じているからつけました。この作品は姪のソナに送る私のビデオ・レターです。

Q 北朝鮮で送るソナの手紙は英語で書かれていますが、北朝鮮の検閲を避けるためですか。
A どの国の言葉で書いていても検閲は必ずします。(笑) 甥と姪に“いつか南北統一ができたら、韓国の人に比べてあなた達はいろいろと劣るかもしれない。それに、生活が苦しむかもしれないので、少しでも外国語が上手かったら、これが武器になって仕事を見つけたり友達をつきあったりするのに、役に立つと思う。だから、できるだけ英語や日本語の勉強を頑張ってほしい。また、もし語学勉強をするのが大変だったら、明るくて積極的な性格を持ちなさい、そしたらいろんな国の人々に会う時、いい印象をあたえるよ”とよく言ったりしました。(笑) 甥と姪にとって、私は‘外部の世界’と繋がる唯一の紐でありました。要するに私のすべてが‘インフォメーションのかたまり’なのです。例えば、私のシャンプーの匂いまで。北朝鮮と日本、そして米国を巡って暮らしている私という存在を見ながら、ソナは幼い時から英語に興味を持って、私がピョンヤンに行くたびに少しでも私と英語で話したがっていました。なので、手紙を書くたびに、どんどん英語単語が増えるのを私に見せたいんじゃないかと思っています。

Q 映画を見てから、在日コリアンとどう接すればいいか、考えてしまいました。
A 昔から在日コミュニティーは民団と朝総連ではっきり分かれていました。面白いことに、同じ町に暮らしているのに、民団の方は民団の店で朝総連の方は朝総連の店でしか買い物をしませんでした。幼い時、いつも買い物に行った朝総連のキムチの店が閉まってしまい民団の店でキムチを買おうとして、母に酷く叱られた経験があります。その時、どうしてキムチを買うのに、政治的なことにこだわるんだろうと思ってました。今は母も時折韓流ドラマも見たり、ヨンさまやイ・ビョンホンも知っているらしいですけれど。(笑) キム・デジュン政権時代、南北首脳会談がまとまって、キム・デジュン大統領とキム・ジョンイルが向かい会ってから、少しずつ 朝総連と民団が一緒に行う行事もできるようになりました。
30代の時からメディアの方で働き始めながら、韓国に行くチャンスも結構あったんですが、父の反対のせいで行くことができませんでした。それで、米国に行ったら、もっと韓国と近くなるんじゃないかと思ってニューヨークに留学を行きました。初めては韓国の留学生の間で、私が北朝鮮のスパイだという噂があったらしいです。(笑) でも、すぐ親しくなってよくお酒を飲んだり、遊びに行ったりしながら、お互いにいろいろと理解するようになりました。私は米国にいるのに、韓国語ばかり喋ってしまい、英語が伸びなくて悩むぐらいでした。
日本の大学で講義をする機会があった時、ある学生から“友達と一緒に韓国の食べ物を食べに来たり、韓国や韓流のことについてしゃべったりしたいんですが、その友達が自分が在日コリアンというのを隠しているので、どうしたら良いですか”と相談に乗ったことがあります。私は“今私に話してくれたその話を友達に話せば?”と言いました。絶交されるかもしれないですが、もし私がその友達の立場ならば、打ち明けてくれたことが、とてもうれしいです。
あなた(質問者の学生)はこれまでに、在日コリアンに会ったことがありますか。私にとって、在日コリアン、日本人、韓国人、北朝鮮人などこういう境界は無意味です。この上映会に参加してくれた学生皆さんも、白紙の状態で、できれば世界の大勢の人々に会えば、良いと思います。勿論、お互いにもっと理解できるように、相手の国に関する大体の歴史的な背景に関心を持って勉強することもすごく大事なことです。

Q 姪のソナは監督にとって、どんな意味なんですか。
A 私は昔からそれほど子供が好きではなかったんですけれども、ソナの写真をはじめて見た時、とてもきれいで可愛いと感心しました。 ソナに会うためにも、一足も早くピョンヤンに行きたいと思うぐらいでした。アイスクリームを食べている3歳のソナがスクリーンに大きく写るんですが、この場面が私とソナのはじめて会った瞬間でした。言うまでもなく一目で惚れてしまいました。ソナが自分の父、つまり私の兄のそばにいる姿は、まるで幼いころの私が若かった兄と一緒にいた瞬間を思い出しました。6歳で経験した兄達との別れは、私にとって大きいなトラウマになっていて、だから今もこうして家族に対する映画を作り続けているかも知れないです。私の代わりに兄のそばにいてくれるソナのことが有難く、うらやましい限りでした。
私は日本で朝鮮学校に通いながら、北朝鮮の教育を受けましたが、学校を離れると日本文化に満ちた生活をしていました。ピョンヤンに暮らしているソナも北朝鮮の教育を受けましたが、お祖母さんが送ってくれた日本の製品に囲まれて育ち、そんなダブル・スタンダードの中で育った私にとって、ピョンヤンに暮して北朝鮮の教育を受けながら、祖母が送ってくれた日本の製品に囲まれて育ったソナの存在は私の分身みたいに感じるのは当然でした。ソナは選択ができないピョンヤンで暮らしていて、私はこうして自由に暮らしています。ソナは日本と米国を巡りながら、自由に生活している私のことをどう思っているんだろう。ソナと私はお互いに鏡に映った存在なのではないかと思います。

Q 最後に学生たちに伝えたいことがありますか。
A 観客達が<愛しきソナ>を見るとき、想像力を発揮したらいいかなと思っています。もし、ソナが韓国で生まれたら、あるいは、自分が北朝鮮で生まれたらと。<愛しきソナ>は私の家族に関する映画に過ぎないです。ハリウッドの映画を一編だけを見て、その映画が米国のすべてを表現していると思う人はいないでしょう。<愛しきソナ>も普通にピョンヤンで暮らしているある家族を見せるだけなので、この映画の自体が北朝鮮のすべてではないです。私も北朝鮮の体制がそんなに好きではないですが、北朝鮮について、嫌悪感や偏見を持たないほうがいいと思います。ただ、北朝鮮で暮らしている平凡な人々のことについて、一度でも覚えてほしいです。北朝鮮に自分の家族や知り合いが暮らしていると思うと、爆弾を落としたり、戦争を引き起こしたりはしないでしょう。観客達がピョンヤンと聞いたら、硬くて怖い印象の北朝鮮の主民の姿より、愛しきソナのことを思い出しながら、うちの家族のことをいつまでも覚えてくれたら、良いと思います。そうしたら、家族にも悪いことができないだろうと信じています。ドキュメンタリーで全部話すことができなかった家族の物語を集めて、新しい劇映画を用意しています。その映画が完成されたら、また韓国の皆さんに会いたいと願っています。