『ヘヴンズ ストーリー』公開中の大阪市の十三・第七藝術劇場。12/4(土)の公開初日、オールナイト上映前にトークショーが行われた。映画ライターの春岡勇二さんを司会に、ゲストは瀬々敬久監督、中盤より山崎ハコさんと大島葉子さんも登場。作品鑑賞前の良いガイドとなるトークが繰り広げられた。

■実際に起きた事件を映画化する葛藤「そこまでやっていいのか?」

春岡:監督が手掛ける作品は、実際の事件を元にしている事が多いのは何故ですか。

瀬々:最初に衝撃を受けた映画というのが、長谷川和彦監督の『青春の殺人者』(’76)。当時高校生で、「こりゃ凄い!」って物凄く驚きました。そういう原体験があって映画に興味が向いたことが大きいです。高橋伴明さんの『TATOO<刺青>あり』(’82)もそう。僕が好きな映画は大体実際に起きた事件と裸が出てくる(笑)。自分の中で映画のコアですね。今でも変わらずそれをやり続けている気がします。

春岡:実際の事件を題材にする意味は何でしょう?

瀬々:『ヘヴンズ ストーリー』は、光市母子殺害事件がモチーフです。それを全部なぞっている訳ではないんだけど、モデルとなった方はいらっしゃるので、こちらの勝手で映画化していいのかっていう意識は常にありますね。それでもやらないといけないという逆の衝動が起こってしまう。描きたいのはどこかに謎があること。実際の事件でもあらゆる人生の問題にしてもそうだと思うんですが、「何でこういう風になっちゃったんだろう」っていう疑問があった時、全てが始まります。映画を作ることはある意味犯罪行為に近い。後ろめたいことに敢えて触れていかないと。格好良くは生きていけないけど、「不可思議な所に踏み込まないといけない」という意識は常にありますね。

■映画づくりは答えを探すための旅

春岡:「よくわからない事件」が起こった時に、その時の社会や時代はどこか関係がある。事件について考えることは、今を生きている我々自身を考えることになるというお考えでしょうか?

瀬々:そうですね。常に答えが見つかっているから映画を撮っている訳じゃない。答えを探すために撮っているんです。映画を撮るのは飯を食うための仕事なんですが、生きるための仕事でもある。「生きる」ってことは、何かに向かっている訳でそれが僕にとっての映画。今回の映画も一年半かかって撮ってるんですが、全部解答を探す旅だったみたいなところはありますね。
光市母子殺害事件の遺族である本村さんも同じような旅をしていたと思うし、一緒の時代を生きている我々に向けて社会的な発言をされたことで、共に物事を考えていく作業があってもいいと思うんです。『ヘヴンズ ストーリー』で、皆さんにもそういう旅に付き合って頂けたらいいなと思うし、自分自身もそういったことが好きで、これも一つの映画の醍醐味だと思います。

■子供に見せるためにPG12にした

春岡:小難しい映画ではなく、色々考えさせてくれる映画でした。

瀬々:扱っている内容は復讐ですが、それだけではない、もっと広い世界観を描きたかった。映倫審査を通しているんですが、最初はR15だったんです。最後に出てくるあるシーンがひっかかった。映倫の人が大したもので(笑)、これは子供たちがたくさん出てくるからPG12位にした方がいい。子供に見せろ、ということでPG12になるよう編集しました。
今回は国家は置いといて、当事者である人間と人間の部分を描こうとしています。だから裁判制度には触れてない。生きている人間に注目して作った映画なので、そこを観て頂きたいですね。

■「物事が均一化している時代」の30代VS「物事には差があった時代」の50代

春岡:脚本の佐藤有記さんは33歳です。監督と同世代の僕らにしたら、光市の事件は衝撃的で「なんだこれは」「訳が分らない」という感想が出てくるんですが、佐藤さんのインタビューを読むと、「生まれてからそういう事件が日常的に起こっている時代に育ったので違和感はない」とのことで、僕は衝撃を受けたんです。
瀬々監督は彼女のそうした感性を面白いと思ったんでしょうか。

瀬々:それはありますが、最近僕も発見しました。『SRサイタマノラッパー』(’09)の入江悠くんと話していたら、最近は自主映画でもハイバジェットの映画でも“ぐにゃっ”と一緒のような感じだと。
昔は単館系の映画といえば主題やテーマなんか、もっとエッジの利いたことをやろうとしていた時代があったけど、今は景色が均一化している。
例えば、「田舎に行くとシャッター街、国道沿いに量販店がある」みたいな。僕らの時代はまだ駅前に商店街があったけど、入江くんに言わせると、まさに『SRサイタマノラッパー』がそうで、「生まれた時から日本全国どこでも同じ景色でした。そんな均一化されている時代の中で僕は映画を撮るんです」と宣言してる訳です。「これが僕たちの時代です」と。
佐藤有紀の言い方もまさにそうで、「こういう色んな犯罪が起こっている時代に私は今まで生きてきた。そんな中で生きているところから始めるんです」という。僕らはおっさんですから、物事には差があるという前提の中で生きてきた。今はノッペラボウじゃないかって違和感がある。
33歳の女子が考える事と、僕ら50歳のおっさんが考える事の接点を探そうと。一緒に「今がどうなんだ?」ということを考えて、手探りの脚本作りをしていきました。

春岡:大変でしたか?

瀬々:彼女たちの感性で僕たちには分らないこともあるし、僕たちの感性は彼女たちに分らない部分もある。そんな1つ1つ石を積んでいくような作業っていうのはありましたね。

★公開情報
12月4日から第七藝術劇場、順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開

(Report:デューイ松田)