12/10(金)、シネ・リーブル神戸にて『その街のこども 劇場版』の舞台挨拶が行われた。通常は公開初日に行われる舞台挨拶だが、異例と言える公開中に登壇したのは、主演の森山未來さんと脚本の渡辺あやさん、京田光広プロデューサー。
京田プロデューサーは「11月の下旬に大阪の西本町のカレー屋で森山君とたまたま一緒になって、今日の舞台挨拶が急遽決まりました」と語った。
高校時代は、当時神戸新聞の裏手にあった神戸アサヒシネマの常連で、閉館してからはシネ・リーブル神戸によく通っていたという森山さん。自分の言葉で震災に対する思いを語る森山さんの真摯さが印象的な舞台挨拶となった。

■人前で『震災を忘れてはなりません』と言えなかった衝撃
森山さんは3年前の12月、NHK『プレミアム10』の枠で制作の震災13年特集『絆〜被災地に生まれたこころの歌』という番組に、ナビゲーターとしてオファーされた。

初めは気楽に引き受けたという森山さん。「神戸市の東灘区に住んでいて、被災した当時は10歳でした。震災と今の自分の距離について考えていた訳ではなかったんです」「被災した方と視聴者をつなぐ役回りだったんですが、実際にやってみると苦しかった。人前で『震災を忘れてはいけません』と言えなかったのが自分でも衝撃的でした」

「その感情を掘り下げてみませんか」という京田さんの提案で、昨年は森山さんが初対面の遺族の方々にインタビューをするセミドキュメンタリー『未来は今』が制作された。小学生のとき震災は体験したが幸いにして家族や周囲の人々は無事だった森山さんが、遺族とどう向き合うのかをカメラが追うことになった。

■遺族の方々との触れ合いで辿り着いた想い
「インタビューする際の構成台本はあったんですが、予定調和が嫌で、台本を見ずに参加しました。整理がついてないことに対してフィククションに乗っかる勇気がなかったんです。案の定、核心に到達することが難しくなっていきました」

ある遺族の方に「どうやって入り込んでいいのか分からない」と正直に打ち明けたという森山さん。「気持ちは分かる。あなたと私の苦しみは傍から見たら度合いが違うかもしれない。でも私は亡くなった姉の話をすることで、こんな姉が居たということをたくさんの方々に知ってもらえて嬉しい瞬間にも思える」そんな言葉を返してもらい“目から鱗”だったという。

この出来事や、それまでに会った方々との触れ合いで森山さんはある想いに辿り着いた。
「100人いれば100人の震災の残像がある。僕は僕なりに10歳の“地震”の記憶があるということを、自分の中に持っていればいいという感覚になりました」

■脚本と神戸の街に全てをゆだねた
今年は、“阪神・淡路大震災15年特別企画”のドラマとして、森山さん、佐藤江梨子さん主演で『その街のこども』が制作された。オンエア後の大反響を受け、未公開シーンを加えて再編集された『その街のこども 劇場版』が公開となった。

脚本の渡辺あやさんから森山さんに「3年連続で番組に携わって何か変わりましたか?」との質問が上がる。
「去年の番組のおかげで震災と自分というものが明確になったように思います。『その街のこども』では、あやさんの脚本と神戸という街に全てゆだねて立っていればいい、という気持ちになれました」
「3年続けたのは義務感や使命感ではなく、たまたま縁つながってここまでさせていただきました。今後がどうつながるかは分かりませんが、ここに立っていることが嬉しく感謝しています」

渡辺さんは「神戸の街を三宮、元町と歩いてここに来ていただき、映画を見ていただいて又街を歩いて帰途についていただけるのが奇跡のようです」と語った。

森山さんは「ルミナリエもやってるしね。来年で16年目ですが、ルミナリエがどういう経緯で始まったのか、知らない若い人も多くなっているとは思いますが…。映画の公開がこの時期になったことも奇跡ですよね」
震災で亡くなった方々の鎮魂と神戸の街の再生を願って始まった神戸ルミナリエ。今年は12/2(木)から開催され、この日のシネ・リーブル神戸がある神戸朝日ビル前も、ルミナリエに向かう人々の列が絶えることなく続いていた。

シネ・リーブル神戸では、好評を受けて年明け1/7(金)までの上映延長が決定した。関西での先行上映に続き1/15(土)からは東京ほかで全国公開される。
最後は京田プロデューサーの『その街のこども 劇場版』を送り出す言葉でしめられた。
「神戸の想いが全国に広がっていくことを願っています。今日は本当にありがとうございました」

★公開情報
シネ・リーブル神戸、シネ・リーブル梅田、京都シネマにて先行公開中!
2011年1月15日より東京都写真美術館ホール、池袋シネマ・ロサほか全国ロードショー

(Report:デューイ松田)