1992年、リオデジャネイロで行われた環境サミットでのスピーチで、世界中の人の心を動かした少女、セヴァン・スズキ。現在セヴァンがハイダグアイ島の自然と共存する生活を軸に福岡県でオーガニック米を作る合鴨農法の様子、地域の子どもたちに無農薬食材を育てる福井県の161人の農婦などを題材に、セヴァンと同じまなざしで地球の未来を見つめる人びとの姿を追ったドキュメンタリー『地球のなおし方』。

COP10の特別番組のために来日した環境運動家デヴィット・スズキは、作品にも登場する娘、セヴァンの1992年のリオデジャネイロでのスピーチを振り返り、「セヴァンがリオの会議に参加したいといった際、リオは暑いし、お金もかかると反対したのだが、その数ヵ月後、セヴァンは1000ドルの小切手を持ってきた。聞くと、環境問題に関心のある資産家が、彼女がリオに行くのは面白いといって、寄付をしたという。悪いアイデアでないと思った私たちは、彼女達のエコのクラブが、
毎回寄付を集める度に、私たちも同じ額を払うよと提案した。でも結局、彼女達は自分達の力で1万3千ドルを集めてきたんだ!今思うと人生の中で一番の高価な判断ミスだったよ(笑)」と語った。

急遽決定したリオでのスピーチに関して、「セヴァンを知ったアメリカのユニセフの代表が、リオのサミットで彼女のスピーチをプログラムに組み込むことを主催者に推薦し、ぎりぎりになってセヴァンのスピーチを組み込んだ。あまりに急なので、セヴァンにあれこれアドバイスをしたところ、
「お父さん、私は自分が何がいいたいのかわかっている。自分で書くから、どういう風に話せばいいかだけ教えて」と怒られた。スピーチでスタンディング・オーべーションを受けたのは2人だけで、1人はフィデル・カストロ、もう1人がセヴァンだった」と伝説のスピーチの舞台裏を振り返った。

また、「リオでのスピーチは、彼女の無垢な心の底からきていた。彼女は自分で言ったことに違わず、忠実に育った。大人になった彼女は、環境問題というのは経済的にも政治的にも単純ではないと理解しているが、リオでのビジョンやアイデアはそのまま保たれて実行されている」とセヴァンの現在の活動について語った。

最後にデヴィットは、私たちが日本でできる環境への取り組みについて、「人間は好きなように地球を使っていいという見方を変える挑戦が必要。私は空気・水・大地・火の4元素の自然を崇拝するカナダの先住民から学んだ。日本にも古くから自然崇拝の考え方があるが、都会の私達は自然から切り離されて生活していると思い込んでいる。今一度自然と大地と、もう一度つながらなければならない」と締めくくった。