この度、山田洋次監督が立命館大学の学生と共に制作した、『京都太秦物語』が京都での6月の先行上映に続き、
9月18日(土)より東劇、なんばパークスシネマにて公開される運びとなりました(その他地区順次公開)。
本作は俳優と実在の大映通り商店街の人々のインタビューが競演し、ドキュメンタリーとドラマの融合として全く新しい作品になっております。また、第60回ベルリン国際映画祭や香港国際映画祭でも上映され、絶賛の拍手を浴びました。
当日は、山田洋次監督・阿部勉監督が立命館大学の生徒たちと共同製作を行ったという、初の試みで挑んだ作品を取材するべく、外国特派員協会会員約120名(世界10カ国)の方々で会場は賑わいました。

【登壇者】山田洋次監督、阿部勉監督(共同監督)
【場所】特例社団法人 日本外国特派員協会
【日時】9月9日(木)

【コメント】
司会:作品について一言お願い致します。
山田監督:3年前ですが、立命館大学映像学部で映画についての講義を阿部監督と2人で行っていたのですが、どうやって映画を教え
ることができるのだろうかというのがいつも悩む問題でした。例えば、音楽の授業は音楽を聴いたり、演奏したりしなければならない。それならば、映画も作りながら教えなければならないと思いました。何故かというと、映画は何十人ものスタッフの人間関係が深く関わっているものなので、一緒に映画を作らないと教えることができません。そして、一つの企画を立ち上げ、私の生徒たちと阿部監督に助けてもらいながら、一緒に何を作ればいいか、どんな風に作ればいいか、そして、どのような脚本を書けばいいか、この映画の第一歩から学生たちと一緒に進め、昨年の秋、ようやく実現しました。
この作品は、学生たちが卒業制作に作るようなものと違い、少ないとは言え、かなりの予算を必要とする作品で、必ず小さな劇場やホールで入場料をとって上映する作品だというコンセプトで作りました。
今日、この場所で上映して頂き、とても光栄です、学生たちに話したいと思います。ありがとうございました。
司会:阿部監督お願い致します。

阿部監督:私がどうやって映画作りを学んできたかと考えると、大学時代ではなく、映画の撮影所に入って、そこで映画を全て学びました。私たちの世代までは少なくとも映画というのは撮影所で学ぶものでしたが、今はそういう場が少なくなってきています。ですから、今回のような学生と作品を作る取り組みは非常に素晴らしいことです。しかし、逆に言うと、こういう場を持たないと今の日本の映画界、若い人は育っていきません。ここに日本映画の現状が象徴的に現れていると思います。最近は日本の映画界を発展させるために、どうすればいいかというと、必ず人材育成という言葉が出てきます。そのために、国はお金を出していますが、こういう映画にこそお金を出してほしいなと思います。本日はありがとうございました。
司会:これからも定期的にこういう取り組みは行われますか。そして、作品の最後に小森和子さんのお名前がありましたが、寄付をされたのでしょうか。
山田監督:20年以上前の話ですが、テレビ番組のインタビューで阿部監督も先ほど言った人材育成の話をしました。このままでは若い人材や日本の映画界が育たなくなる、私たちが育ってきたように1人も育ってこない、だから、日本の映画界がとても心配だと語ったことを映画評論家の小森さんが聞いていらっしゃいまして、そんなに大変なら私の貯めたお金を使ってくださいと寄付してくださいました。
私は、松竹として受け取りましたが、どういう風に使えばいいのか見当がつきませんでした。いつも気にかけながら、そのままにしていましたが、まもなく小森さんが亡くなられてしまいました。そして、この企画を立ち上げた際に、頂いた寄付金を使う良い機会だと思い、使わせて頂きました。それゆえに、最後に小森さんへのオマージュを書かせて頂きました。

阿部監督:今回は松竹という映画会社と立命館大学という学校が一緒に映画を作りましたが、この取り組みは1回限りではなく、将来に渡り、映画会社と学校が手を取り合って、映画の人材を育てていこうと思います。京都にある松竹の撮影所の中に大学のスタジオや編集の実習施設を作りました。日本には東京に4ヶ所、京都に2ヶ所、映画の撮影所がありますが、撮影所の中に学生が学べる施設があるのは、京都の松竹の撮影所だけです。これは日本では初めてのことで、世界の撮影所にそういう施設があるのか詳しくはありませんが、画期的なことだと思います。しかし、映画作りとは非常にお金がかかることなので、今回は小森和子さんのご寄付をベースに様々なお金を集めて、こういった作品ができましたが、次の作品をどうするか大きな課題です。ですから、国の人材育成支援を受けられたらと思います。
司会:若者のコミュニケーション不足と言われる現代社会は、若者が良い映画を作る環境と言えるのでしょうか。
山田監督:東京と京都という土地柄に若者の違いがあるかもしれませんが、一緒に制作を行った学生は良い若者ばかりでした。彼らと一緒に勉強し、撮影をすることがとても楽しかったですね。2〜3ヶ月の撮影の間に彼らは刺激を受け、よく学んでくれました。もし、私が大きなプロダクションの社長なら全員採用してあげたいくらいです。
阿部監督: 今の学生はコミュニケーション能力が落ちていると私も思っていましたが、今回の作品を通じて、彼らの道筋を導いてあげれば、きちんとやってくれると思いました。例えば、映画に出てきた豆腐屋のお母さんたちと20歳の学生が話をする光景は、スーパーマーケットで買い物をする今の社会では見られません。だから、彼らも初めて商店街の方々と話をしたと思うのですが、撮影を通して、彼らは商店街の人々と溶け込み、作品の中に登場する商店街の様々なエピソードも彼らが拾い上げてくれました。私たちが教えて、彼らがただ学んだという関係ではなく、彼らもスタッフの一員として彼らができることをやってくれました。
司会:映画を作りたくても、こういう機会に恵まれなかった学生に一言お願いします。
阿部監督:撮影が終わった際に教えることも喜びだと山田監督がおっしゃっていました。私はその言葉にすごく驚いたのですが、私たちは先輩から教えられるのではなく、日本語で言う「盗む」というような、物事を学び取っていくというのが基本的な映画の勉強の仕方でした。だから、私たちもこれまで映画を本格的に教えたことはなかったし、おそらく山田監督もなかったと思います。その山田監督が映画を学生に教えて楽しかった、喜びだったという発言は非常に感銘を受けました。だからこそ、今の日本映画の第一線で働いている人たちが若い世代に教える機会を広げるべきだと思います。これは、国でもできることですし、そういうチャンスや場を作っていけばいい、そうすれば、日本映画界で活躍する人たちもボランティアとして参加すると思います。教えるということはめんどくさいことではなく、とても素敵なことだということがこの作品で証明されたと思います。そういう場がこれから増えることを期待しています。
山田監督:監督や脚本家は育つが映画はたくさんの人々が関わっているもので、カメラや照明などはどうやって育つのか、一生を映画に捧げるためのシステム作りが今の日本の映画界の大きな課題だと思います。
司会:本日はありがとうございました。