本日、「マニラ・スカイ」のゲストをお迎えし、記者会見が行なわれました。

■ 日時・場所 10月20日(火)、14:45〜 @ムービーカフェ
■ 登壇者 レイモンド・レッド(監督)、ラウル・アレリャーノ(俳優)、ジョン・アルシリヤ(俳優)、スー・プラド(女優)、デビッド・フコム(プロデューサー)

無慈悲な都会の生活からはじき出されてしまう青年が、追い詰められて取った行動とは? 現代社会の矛盾をじっくりとそしてダイナミックに描く、比インディペンデント映画界の雄、レイモンド・レッド監督の粘り強い演出に注目。

監督: 東京国際映画祭でフィリピンの作品がコンペティション部門に参加するのは初めてのことだと伺い、キャスト、プロデューサー共々光栄の極みです。

質問: 最近フィリピン映画では、辛い現実という社会問題を扱ったものが非常にものが多いようですが?
監督: 特に独立系の作品では、社会の闇の部分や社会政治的な内容をテーマにしている作品が目立ちます。これが唯一のテーマではありませんが、フィリピンの映画史においてこのようなテーマを取り上げているものが多いのは事実です。カンヌなどのヨーロッパの映画祭でも認められている故リノ・ブロッカ監督も、このようなテーマを取り上げていました。フィリピンでは、人口の80%が貧困に苦しんでいます。まともな暮らしができているのは残りの20%にしか過ぎません。従って、このようなストーリーは多くのフィリピン人にとって現実なんです。

質問: 主役のラウルは、父親に会いに行こうと考えます。何故母親ではなかったのでしょうか。
監督: 冒頭で少年とお父さんの関係が映し出されます。あえて何の説明もなく、当然その少年が大きくなったストーリーだと思わせておいて、実はそうではなくて、最後には別の人の話だったということになります。意図的に誤解を招くようにするためには、相手が父親でなければならなかったんです。これは長いフラッシュバックが間に入っている短編映画であると考えてください。

質問: 久しぶりの長編ですが、今後はもう少し間を開けずに作品を出していただけるのですか?
監督: 映画業界に入ってから26年になりますが、4作目の長編です。私は、自分が納得できるストーリー、つまりオリジナルの脚本を元にした映画を撮りたいと思っています。ひとつ前に真剣に取り組んだのは『アニーノ』というショートフィルムで、2000 年にカンヌでパルミド—ルをいただきましたが、それから9 年も経っているわけですね。決して過去の成功に甘んじているわけではなく、実はあたためている3 本の企画の売り込みに時間を費やしていたんです。残念ながら、営業は上手くいっていません。ストーリーが難し過ぎるのかもしれません。かなりの資金を必要としているものばかりですしね。昨年、一旦それらの企画を諦めて、実行可能なものから着手しようと決心し、『マニラ・スカイ』を作りました。当初思っていたより困難は多く、東京国際映画祭でのワールドプレミアまでに2 年かかってしまいました。今後はもう少しスピードアップして行きたいと思っています。

質問: 『マニラ・スカイ』というタイトルは、どのようにして決められたのでしょうか。
監督: 原題はタガログ語で「空」あるいは「天」という意味の「ヒンパパウィッド」です。国際映画祭に出す上で英題を考え、語呂的に響きもいいという単純な理由で『マニラ・スカイ』に決めました。
最後に、絶賛の演技力で主役を演じたラウル・アレリャーノさん、リアリティ溢れる演技を見せたジョン・アルシリヤさん、そしてフライトアテンダント、娼婦、政府機関の受付嬢と一人3 役を演じたスー・プラドさんに、役作りや本作品への思いについてのコメントをいただきました。
アレリャーノさん: 役作りをする上で半分は知り合いをモデルに、半分は想像です。本物のハイジャック犯のドキュメンタリーも研究しました。監督は、クールでかっこ良く、一緒に仕事をしやすい人です。台詞についても役者側の意見を聞いてくれたり、アドリブもありましたし、俳優にとっては充実感溢れる制作現場でした。
アルシリヤさん: 舞台俳優からスタートして、10 年程前から映画に出演するようなりました。ある意味、映画の方が現実を正直に描ける手段であると感じています。例えばテレビドラマなどでは、ガソリンの値段がどうだとか、貧困問題についてはあまり触れません。私は幸いにも恵まれた生活をしていますが、貧困はいつも目にしています。国の状況を見せるだけではなく、それを解決するための手段を模索するきっかけになればと思っています。『マニラ・スカイ』では、ギャラのことは一切考えませんでした。興業収入が得られなければ、無償でもいいという気持ちで取り組みました。それくらい意義のあるテーマですから。
スー・プラド: 3 役を演じ分けることは容易なことではありませんでしたが、俳優としてやりがいもありました。とても楽しい仕事でしたよ!