「ダーク・ハウス/暗い家」のゲストをお迎えし、記者会見が行なわれました。

■ 日付 10月19日(月)
■ 記者会見 13:00〜 (ムービーカフェ)
■ 登壇者 ヴォイテク・スマルゾフスキ (監督・脚本)、マリアン・ジエドジェル(俳優)、フェリクス・パストゥシャク(プロデューサー)

ポーランドの片田舎にある農場で起きた事件を現場検証する警察官たち。供述を行う容疑者とのやりとりから、凄惨な事実が浮かび上がる。
ブラックユーモアを包含しつつ、全編をアルコールとカオスが支配する犯罪心理ドラマ。監督、キャスト、プロデューサーをお迎えして記者会見が行われました。

質問: 時間軸がばらばらで交差していますね?
スマルゾフスキ監督: プロットは複雑かもしれませんが、実は1978年の場面は雨の降る秋の夜に、1982年の場面は雪の降る冬に撮影していますので、見分けることができたと思います。秋と冬、昼と夜、善と悪と、二つの要素を衝突させる狙いがありました。

質問: コンペティション15 作品の中で「家」が重要なモチーフにしたものがいくつかあります。この映画もタイトルからしてそうなんですが、撮影に使われた「家」は映画のために建てられたものでしょうか。
監督: 作品の中では『家』が象徴となっています。実は、この家は、私が生まれた家であると考えてください。もちろん1978 年には高校を卒業する年齢でしたけどね。できるだけ自然なかたちで撮影をしたかったので、わざわざ家を建てるということはしませんでした。ただ、母屋の隣にある馬小屋兼物置は、映画のためにつくりました。

質問: 1978 年と1982 年におけるポーランドの時代背景について教えてください。
監督: 1978 年は、ポーランドにおける社会主義時代の末期です。不条理なことが多くありました。例えば、お酒は午後1 時以降でなければ買うことができない、自動車を購入するためには配給券が必要であるとか、工場や農場は全て国営でしたが、国民はそれを自分のものであると解釈して成果物を持ち帰るなど、盗みが一般的な行為となっていました。1981年12月13 日、ポーランドに戒厳令が敷かれました。ポーランドの歴史で最悪な時代です。配給制度だったのですが、配給券を持っていても、店に物が不足していて欲しいものが一向に手に入らないという状況でした。また、パスポートをなかなか発行してもらえず、外国に出ることもできませんでした。全く希望をもてない、そういう時代でした。

質問: 希望がなかった時代ということですが、現在のポーランドは昔より希望にあふれている状況なのでしょうか。
監督: 正常と申しますか、普通の「良い国」になったと思います。人生とは味見して選ぶことができません。自分が別の国あるいは別の時代に生まれたらどうだったのかということを比較体験することはできません。ですから他国と比べることはできませんが、ポーランドは良くなった、と言えるでしょう。

質問: 主役のジャバスは、最初はとても人の良いおじさんのように見えて、最終的には凶悪な面を見せるのですが、この難しい役をどのように解釈し演じたのでしょうか。
ジエドジェルさん: 役作りは長いプロセスでした。8 年前に脚本をもらってから監督と色々な話をしました。私は、自分が演じる人物の良いところを必ずひとつ見つけるということを目標としています。今回もどれだけジャバスを弁護できるのか、それに集中して役作りをしました。どこの国に生きていても、希望を持って生きることが普通のことだと思います。人生で重要なのは、信じること、希望を持つこと、愛することなんです。ジャバスもそのように生きていたんだと思います。ただ、彼が残酷な人間なのではなく、たまたまあの夜が恐ろしい夜だったのだということです。