日本のコメディ発祥の地、「浅草」。日本有数の芸術・文化施設の集積地域、「上野」。この2つの地域を舞台に、昨日9月21日(月・祝)〜25日(金)まで、「映画(Cinema)」「したまち(Old town)」「笑い(Comedy)」という3つの要素をかけ合わせた日本初の大規模なコメディ映画の祭典、「第2回したまちコメディ映画祭in台東」(略称「したコメ」、第22回東京国際映画祭提携企画)を開催中です!したコメでは、映画人、地元の皆さん、観客が一緒に盛り上がれる仕掛けが盛り沢山!昨年の第1回よりもさらに楽しめること間違いなしです!!

 浅草が生んだ喜劇人「伴淳三郎」。その生誕100周年を記念して、立川志らく氏と、”伴淳”のご子息であり、現在スタイリストとして活躍している山本康一郎氏によるトークショーが行われました。
 

●実施日時:9月24日(木)
●会場:浅草中映劇場

<トークショーの様子>
 立川氏は伴淳三郎の魅力について、「出てくるだけで面白いのは伴淳三郎さんだけ」と語った。
 山本氏は家庭での伴淳三郎さんの様子を語り、会場を沸かせた。伴淳三郎さんのお弟子さんから昔の写真を頂いたエピソードを紹介し、実際に会場にいらしていたそのお弟子さんを紹介すると、一番の盛り上がりをみせた。最後に、山本さんから、今回の企画の動機となった山形の伴淳三郎の会の方への感謝のメッセージでトークショーは終了した。

■立川志らく氏

Q.伴淳三郎の魅力は?
 出てきただけで面白いところです。チャップリンは作っているし、森繁さんも演技しなくては魅力がないと思います。

Q.プロデューサーとしての伴淳三郎は?
 映画で残した功績が素晴らしいが、喜劇人は私生活ではたくさんの人に迷惑をかけるものだから、少しでも地域に貢献したいを考えていたのではないかな。

Q.「飢餓海峡」について
 伴さんの演技は素晴らしかったが、ストーリーはあまり好きではないです。あそこまでの演出をしなくても、伴さんは素晴らしい演技ができたはずだと思います。
 伴さんはすごく役作りの研究をしていました。例えば、職人役のときは職人の仕事を学んでいました。しかし伴さんの場面、どの映画でも伴さんらしさを失わなかったところがすごいと思います。

■山本康一郎氏

Q.初めて伴淳三郎の息子として、出演して頂いた理由は?
 山形米沢での伴淳三郎に関わるイベントを地元の方が一生懸命やっているのを見たこと。また、いとうせいこうさんとの編集者時代の縁などから、何かできることはないかということで、写真などの資料を集め出しました。
 そして、編集者としての目線から伴淳三郎は面白いと感じたためです。

Q.家での伴淳三郎は?
 別々に暮らしていましたが、お小遣い狙いで父のところに行っていました。会話も少なく、奇怪な父親でした。
 でも、亡くなった後、ベッドの下に自分の写真をしきつめていたことを知り、驚きました。それを見てから、両親が離婚したことによる苦労や、有名人の子としての苦労が帳消しになった気がしました。
 父は高齢になってからの子供だったために、森繁さんに冗談で、「おじいちゃんだろ」とよく聞かれていました。その冗談によく怒っていました。