「革命、いまだならず・・・。」
この言葉をご存知の方は多いだろう。これは近代中国の父と呼ばれている孫文が死の間際に残した言葉だ。しかしその孫文に日本人の孫がいるという事実はあまり知られていない。
9月5日(土)シネマート新宿、横浜シネマリオン他より公開された、孫文の革命家としての人生を描いた映画「孫文−100年先を見た男−」に伴い孫文の孫である宮川東一さんによるトークイベントがシネマート新宿で行われた。

登場した宮川さんはトークイベント開始早々に「実は私の母は、孫文先生が日本に亡命していたときに横浜で結婚した大月薫の娘として生まれました。私はこのことを30歳近くまで知りませんでした。私の母も知りませんでした。」と自分だけでなく母・久美子さんまでも孫文との関係を知らなかったことを明かす。

そして30歳で孫文の孫だと知った宮川さんはその後の人生が大きく変わったと語る。「子供として母の労苦を見ていると大変だったと感じます。母は本当の父親、母親を知らずに育ったわけですから・・・。大いに思うことはこのような悲しく、寂しいことはおこってはいけません。母は孫文の娘だということを知るまで寂しい人生を送りました。私は人間が生きていくということはどういうことなのかを考えました。すると人間関係の重要性に気が付きました。」

さらに宮川さんは孫文から時代のうつりかわりや人間関係の重要性を知り、出世したと言う。「私は孫文の孫だと知り、反省しました。世の中はうつりかわっていくのだと。つまり昔やったことを今やって子供を育てていくことはできません。その世代にあったサービスなどをしていなくてはいけないのです。孫文先生は当時の中国(清)の実体が変わることに対して、革命を起こさなくてはいけないと決意しました。私は当時経営のコンサルタントとして世の中にどうたずさわるかを考えました。まずは本を書こうと思い食品業界のうつりかわりについての本を出版しこれが売れました。そして自分の会社を立ち上げることができました。世の中の変化に対応するには何をしなければいけないかと考えることが大事だとおもいます。今年で私は81になります。去年まで仕事をさせていただいていました。私は多くの人々のおかげで生きていくことができている、そのことを考えいつも仕事をしています。」

最後に宮川さんは「これからも日中、両国にできる限りの協力をしていきたい。」と今後も人々のために生きていこうとする熱意が感じられた。

(Report:木村高志)