現在全国で絶賛公開中のドキュメンタリー映画『精神』で、精神病という複雑で重いテーマに真正面から挑んだ想田和弘監督と、さまざまなメディアで日本社会が目を背けていた問題に光をあて続ける森達也さんが、想田監督の『精神』メイキング本『精神病とモザイク』(中央法規出版)の発刊を記念してトークショーを行いました。

【日時】7月28日(火)19:00〜
【場所】青山ブックセンター本店(東京都渋谷区神宮前 5-53-67コスモス青山ガーデンフロア) 
【出演】想田和弘(映画監督)・森達也(映画監督・作家)

 注目のドキュメンタリストの対談とあって、たくさんの立ち見が出るほどの聴衆が詰めかけ会場は熱気に包まれました。その熱気に押されるかのように二人のトークも冒頭から、現在の日本のメディアの抱える問題に鋭く迫るものになりました。
ごく一部ですが、冒頭でテレビにあふれるモザイク処理に関して語った部分を要約して紹介します。

森:実は、僕も精神障害者のTVドキュメンタリーを2回撮っています。モザイクはもちろんかけたくないので精神障害者の方々に「モザイクなしで行きますよ」と許可を取っていましたが、編集も終えオンエアまであと3時間というところでプロデューサーからモザイクをかけろと指示があり、押し問答の末、結局「好きにやってくれ」と放棄してモザイクをかけて放送されたということがありました。

想田:出る人は素顔でいいと言っているにもかかわらず、モザイクをかけるということは、結局これは撮る側・見せる側の問題なんですよね。見せる側がモザイクをかけなかったばっかりに何が起こるか分からない、責任を取れるのかということで、現場がモザイクをかけたくないと言っていても、TV局は大きな組織ですから、上層部のほうから困るといわれてしまう。

森:現場がモザイクをかけたくない時に上層部が指示することもあるけれど、現場の判断で勝手にかけていくということもあります。昔はなかったけれども、いまは段々とそうなってきています。
また最近気になっているのは音なんです。ボイスオーバー、映画で言えばアフレコですが、外国の方がしゃべっている母国語を消して日本語のアフレコをかけてしまう。これもかつては報道系・ドキュメンタリー系ではまずやらなかったのですが、いまはNHKスペシャルでもほとんどはボイスオーバーをやっている。
音を消すのはモザイクと一緒で、元の声を消してしまうわけです。声はとても重要な情報で、どこで息継ぎをしたか、どこでどもったのか、どこで声が震えたのか、これは表情以上に大事なのですが、音に関する関心を現場は失ってしまっている。

想田:そうですね。映像と音声の表現であることを忘れつつある感じがします。
モザイクなり音声の加工をすると、文字情報で分かることしか伝わらなくなってしまう。つまり顔が見えなくなると、しゃべっていることの内容だけを受け取ることになります。そうするとそれ以外の部分がそぎ落とされてしまって、映像でやる必要がもはやなくなってしまう。そもそも僕らは撮りたいからカメラを向けるわけであって、それなのにモザイクをかけることは非常に不条理なんですよね。
 映画『精神』の取材などではよく「モザイクをはずされましたね」と言われるのですが、はずしたわけではなくてつけなかっただけで(笑)、もはやモザイクをかけることがスタンダードになりつつあるという感じがします。
 そして、これは伝染すると思います。モザイクをつけた映像を見ていると、見た人はこういうものにはモザイクをつけなくてはいけないんだという気になってくる。それが法律的にどうかと言うことも問わずに、あの局でもつけていたから、こちらもつけようということになっていくのではないかなと思います。
 森さんもよく言われている危機管理意識、なんとなく増幅されていく不安をベースにした心情がどんどん拡大再生産されていくという構図が見えてきます。……

このような形で始まったトークは、想田監督が在住するアメリカでのドキュメンタリー制作との比較や、森さんの『A』『A2』の撮影エピソードも織り交ぜながら、これからのドキュメンタリーのあり方へと発展していきました。森さんの「ドキュメンタリー作家は悪人」という考えに想田監督が意義を唱える場面もあり、聴衆は二人の深化するトークを一言一句聞き逃すまいと真剣に聞き入っていました。

2009年6月13日〜、シアター・イメージフォーラム他で全国順次公開中
想田和弘著『精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける』は全国書店、上映館にて絶賛発売中