第13回富川(プチョン)国際ファンタスティック映画祭にて、スペシャルプログラム・呪怨10周年記念ということで清水崇監督が参加し、トークショーが行われた。

(清水監督)「今回はお越しいただき、有難うございます。99年版のビデオバージョンで監督成り立てから10年間、ほとんどずっと呪怨をとり続け、映画『呪怨』は私の代表作でもあります。」

(清水監督)「実はアメリカ版のリメイクに関するお話は、ビデオ版で作り上げていた最中にありました。そのお話があって、最初僕はアメリカ人の監督がアメリカのテイストで作品を作るのかと思っていました。最初断っていたのですが、何度もラブコールをもらって…制作することに至りました。『呪怨』はリメイク版も含め6本も撮り少し飽きたので…『呪怨』は別の監督に任せようと思いますね。」

(清水監督)「ビデオ版を制作していた当時、日本では『リング』の流行が下火になり始めていた。霊が物隠れする等のシーンは、『リング』で最高潮になっていました。同じパターンにはまらないように取り組んでいたことが、『呪怨』のようなホラー映画の表現方法に繋がったはずだと思います。」

(清水監督)「制作したのは今から10年前。その時、僕は27歳だった。【俺は新しいことをやってやる】という思いが強くありました。しかし2作品を作りあげるのに与えられた日数がは、休みの1日を含めて10日間のみ。大体1作品あたりを4日で作る、というかなりハードなスケジュールの中で作りました。今思い返すと、よく撮れたなという思いがします。今だから明かせるのが、エピソード1と2で20分かなりダブっているところがありますが
…それは編集中長さが足りなかったので、そのようになってしまったんです。ですが、結果的に1を観ていない人が、2から観ても話しがわかりやすいという形になりました(笑)。勿論本気で制作し、怖がらせてやろうと思っていましたけどね。」

(清水監督)「僕は…実は怖がりでした(笑)。その怖がりな自分の妄想を膨らませたのを詰め込んだのが、『呪怨』です。自分の怖がりな部分を絵にしたのが、観ている人に怖さを共感させることができたのかもしれません。」

(清水監督)「クシシュトフ・キェシロフスキ監督の『デカローグ』という作品が好きでした。その作品とは、10時間で構成され、1時間ごとに全て話が違うんです。しかし、1話ですれ違う人が5話ですれ違ったりと…実はすれ違う人が≪皆1つの同じアパートに住んでいる≫という設定になっているんです。それがオムニバス構成のきっかけです。『呪怨』ではバックのあるものを「家」というものにすることで、総合的に構成することが出来ました。」

(清水監督)「昔からホラー映画では長い黒髪に白い少女という発想がありますが、きっと貞子もそのような発想から生まれていると思いますが…今までも似たようなものが多く、ホラーを真正面でやろうと思いました。」

(清水監督)「ある時、明るい健康的な舞台を観ていたら、藤貴子さんがお手伝い役として出ていました。彼女が適役だと思い、ピンと来て…カヤコ役は今に至ります。もちろん、藤さんが元から奇妙な動きが出来たわけではないです(笑)。撮影していく中で、藤さんに『指はこのように動かして下さい』等、指導したことに彼女がついてきてくれたので、出来たのだと思います。」

(清水監督)「そんなカヤコ役を演じていた藤貴子さんと生年月日も年齢も同じだという偶然な奇妙の一致がありました。これは本当に偶然でした。なので年を重ねると、一緒に藤さんも年を重ねるわけで、カヤコが階段を上がり下がりするシーンというのも、年を追うごとに辛くなったりするので、前もって知らせ、筋トレ出来るよう知らせました。」

(清水監督)「いつも彼女には、『怖がらせるような演技をして欲しい』と頼んでいるのではなく、カヤコという女性はとてもかわいそうな背景があり、恨みを持ち生きてきたことを考え、可哀相な感じを出して欲しい、悲哀に満ちた演技を求めました。それが呪怨の怖さに繋がっているのだと思います。」

(清水監督)「実は今編集中の作品で新作映画『戦慄迷宮3D』という作品があります。その編集中ですが、2日間だけ休ませて欲しいとスタッフにお願いをしている中で、韓国に来ています(笑)。この作品は日本初3D実写映画です。ついこの前作品を撮りあげ、10月公開に向けて大急ぎで編集しています。もし韓国で上映出来る機会があればいいと思います。映画『呪怨』よりドラマ性を生かした作品となっています。」
 

(Report:大倉真理子)