日活配給にて2008年フランスで130万人動員の大ヒットを記録致しました『幸せはシャンソニア劇場から』がシネスイッチ銀座、シネ・リーブル池袋ほかにて9月より公開の運びとなりました。本作は2005年に大ヒットした『コーラス』のジャック・ペラン製作×クリストフ・バラティエ監督による最新作です。
この度監督クリストフ・バラティエ氏の来日に伴い、日仏学院にてQ&A試写会を実施いたしました。

『幸せはシャンソニア劇場から』監督Q&A付試写会
●日時:7月7日(火)18:30   ●会場:東京日仏学院(新宿区市谷船河原町15) ●登壇者:クリストフ・バラティエ監督

たくさんの観客に拍手で迎えられ登壇した監督は、挨拶とともに「自分の特徴をとらえた、とても自分に似た作品を取ることができたと思います。本作はフランスで大成功を収めましたが、ブラジル、アフリカ、そして日本を含むアジアなどをプロモーションで回っていく中で、ひとりで想像した非常に個人的な物語が世界へ拡がっていることを感じ、そのことにとても感激しています。この映画が語るものは友情で、成功が個人的な事柄ではなく、仲間とともに勝ち取るものだった連帯意識の強い時代の物語です。」と来日した喜びと作品の見どころを語り、観客からの質問に答えた。

以下、Q&A。

Q.映画の撮影場所はパリのどこ?
A.実はパリではほとんど撮影をしていません。パリで撮影したのは夜の一部と地下鉄くらいで、チェコのプラハにセットを建てて、撮影をしました。この映画で見られるようなパリの街並みは、今ではモンマルトル界隈の一部くらいにしか残っておらず、美術担当者と話し合って、自分たちのイメージに合ったパリを作りたいように作ろうと決めました。部屋の中、劇場内はスタジオで。西で撮った地下鉄のシーンは空が少しあいているな・・・と思ってCGでエッフェル塔をくっつけました。だから見た人から「こっちにエッフェル塔があるなんて、おかしい」とよく指摘されました。パリに住む人はパリのどこで撮影したかは分からないと思います。しかしそれは制作費の安さを追求したからではなく、今のパリにない当時の庶民的な街を表現したかったからです。

Q.1936年のパリの庶民はお金がなく、劇場には行けなかったのでは?
A.1936年は.経済的には厳しかったですが、住んでいる人たちの経済状況にあわせて各地区にミュージックホールがありました。下町の人たちは自分たちの地区にある安いミュージックホールに行っていたのです。今はもう忘れられていますが、昔ミュージックホールは皆週に2回は足を運ぶ社交場の一つだったんです。だからこの作品にも描いているように、来る人たちが飽きないように毎日演目を変えていました。

Q.作品の中でドゥース(主演女優:ノラ・アルネゼデール)のとったあいまいな行動が悲劇を招いた部分もあると思うが、監督にとってのドゥースの位置づけは?
A.曖昧で矛盾した感情を含んでいるのが人生。その人生と同じく、曖昧で矛盾した所に彼女を位置づけました。ドゥ—スが、悪役であるギャラピアに手を差し伸べるか否か、という思わせぶりともとれる曖昧さは、私たちの心の奥底にあるものだと思います。

Q.ドゥ—ス役にフランスでも知られていない女優ノラを選んだ理由は?
A.正直、彼女を選んだことは映画が成功するかしないかの大きな賭けでした。けれども作品の内容と並行して、無名の女優がこの作品を通して有名になっていくという形にしたかったのです。3000人をオーディションしたのですが、彼女の歌、演技、画面に映った時の顔という大切な3点すべてがこの役にピッタリでした。女優には自分で歌ってほしかったのです。また俳優は三人とも有名なのでバランスも良かったと思います。

クリストフ・バラティエ プロフィール
1965年フランス生まれ。両親共に舞台俳優で、母方の叔父がシャック・ペランという芸能一家に育つ。パリ・エコール・ノルマル音楽院でクラシックギターを学び、数々の国際コンクールで受賞したミュージシャンでもある。91年にジャック・ペランの製作会社ガラテ・フィルムに入り『リュミエールの子供たち』(95)、『ミクロコスモス』(96)、『キャラバン』(99)、WATARIDORI』(01)などを製作補として手がけ、01年に短編初監督作品「Les tombales」で注目を集める。04年の長編デビュー作『コーラス』は、フランスはもとより、世界的に大ヒットを記録した。