5月27日(水)に慶應義塾大学にて映画『九月に降る風』の上映会&講演会を行いました。今回の大学イベントは、本作が台湾で劇場公開される時に行われた大学試写会を再現する試みです。ツァイ・ミンリャン監督に師事していたこともあるトム・リンは、ツァイ監督が作品を発表するたびに大学試写会を行っていたのを、自らの長編デビュー作の時にも踏襲し、台湾の映画人を招いて話題づくりをしました。日本では、立教大学、早稲田大学、慶應義塾大学にて学生との交流を果たしました。

『九月に降る風』上映会&講演会 5月27日(水)
場  所:慶應義塾大学日吉キャンパス 来住舎シンポジウムスペース
登壇者:トム・リン監督、田中文人さん(東京国際映画祭・作品部、ドキュメンタリー監督)、浅川稚広さん(女優)
MC:慶應義塾大学・学生

MC:映画のキーパーソンとなっているリャオ・ミンシュンさんは日本では馴染みのない方ですが、台湾の野球事情とあわせて教えてください。
監 督:今は台湾でもリャオ・ミンシュンさんの存在を知っている若者は少なくなっています。かつての台湾野球界においてのリャオ・ミンシュンさんはスーパーヒーローで、あだ名は”野球王子”でした。92年バルセロナオリンピックに代表として出場し、彼の活躍のおかげでチャイニーズタイペイは銀メダルを獲得しました。その後、96〜97年に台湾では野球賭博事件が発覚し、渦中にあったリャオさんは追放され、二度と野球ができなくなりました。それは当時の台湾の若者にとってはとてもショックな出来事でした。

MC:浅川さん、映画のご感想をお聞かせください。
浅 川:あの人数の中で調和の取れていた男の子たちの青春や友情が、一人いなくなることによって歯車が崩れていく様がショッキングでもあり、それがすごく繊細に描かれていたなという印象です。ユンが「私のこと特別よね?」って言う時の表情が忘れられません。すごく傷ついているんだけど素敵だなという印象です。

MC:たしかにそのシーンは印象的でした。その後に泣きながら手紙を書きますが、とても切ない気持ちになりました。では、田中さんお願いします。
田 中:昨年の東京国際映画祭「アジアの風」という部門でこの作品を上映させていただきました。なぜこの作品が映画祭に選ばれたのかといいますと、 エリック・ツァンという香港の有名な俳優であり監督がいるのですが、その方がどうやら青春三部作をプロデュースするらしいぞ!という噂が我々の耳に入りまして、ずいぶん前からチェックしていた中の1本がこの作品でした。少し歴史の話になりますが、台湾映画は最近馴染みがなくなってしまったかもしれませんが、80年代後半から90年代初頭に、世界で一番面白い映画は台湾映画だという時代がありました。その頃、台湾ニューウェーブと呼ばれた世代の監督たちがいました。代表的なのはエドワード・ヤンやホウ・シャオシェン。1991年の東京国際映画祭でエドワード・ヤン監督の『嶺街少年殺人事件』という作品を上映して、審査員特別賞を受賞しました。これはかなりの衝撃で、日本のみならず世界中が”なんてすごい才能が生まれてきたんだ”と。余談ではありますが、映画祭では同じ91年にもう一人、ウォン・カーウァイという知らない名前の監督が檀上にあがりました。この二人がその後10年、アジアの映画界を引っ張る存在になるのですが、その登竜門となったのが東京国際映画祭でした。台湾ニューウェーブはその後90年代中半になって、だんだん下火になってしまい、彼らに匹敵する才能を生み出せずにいます。なので、台湾映画の新しい世代の監督がどこから誕生するのかと、我々も常に注目していまして、昨年この作品に巡り合い、ちょっと押さえておかなければいけないなということで、映画祭で上映した次第です。ところで監督に質問なのですが、イエンとユンがデートでビデオルームに行きますが、ああいう場所は日本にはありません。あれはビデオを借りてカップルで入るんですよね?
監 督:はい、観たい映画をピックアップして個室に入って映画を楽しむための場所です。
田 中:でもあれは映画を観賞しなくなりそうですよね(笑)。にもかかわらず、あそこで流れていた映画はホウ・シャオシェンの『恋恋風塵』でしたね。
監 督:あの映画を自分の作品に取り入れたのは、自分の成長過程において最も影響を受けた作品の一つであることと、台湾映画界の成長過程における重要な作品だからです。もう一つの理由として、台湾の成長を代表するニューウェーブ映画に対する私の敬意を表すためです。私たち新しい世代の映画監督の成長にとって、それまでの監督たちが作ってくれた作品たちが良い見本となっていることを忘れていません。
田 中:もし機会があれば『恋恋風塵』も見てみてください。そうすればこの『九月に降る風』への理解もより一層深まるかもしれませんね。

MC:それではここでゲストの方への質問があればお伺いします。
質問1:私は小さいころ台湾にいたので台湾語は分かるのですが、この作品ではまったく分かりませんでした。台湾では今までに言葉が変わったりしたのですか。また先輩・後輩が一緒に勉強しているように見受けられる場面がありましたが、台湾ではそういった機会はあるのでしょうか。
監 督:まず言語についてお答えします。1949年に国民党政府がきてから、台湾では従来の台湾語ではなく北京語を公の言葉として使っています。映画に出てきたような若い人たちは、台湾語を話せなくなってきています。なので劇中のセリフでも、強制的に台湾語を使わせるよりは普段使っている言葉のほうが良いだろうということで、北京語を使っています。先輩と後輩が一緒に、という質問ですが、そういったことはありません。映画の中でも一緒の教室で勉強するシーンはありません。

質問2:脚本も監督が書いたと伺ったのですが、主人公のグループが7人と多いのはなぜですか?
監 督:実は脚本を書き始めた当初は今よりもっと登場人物が多かったのです。それは私自身が学生時代に大勢でつるみ、常にグループで行動していたので、そのリアリティを求めたからです。日本のみなさんは大勢で一緒に行動しないのでしょうか?

質問3:この作品は監督の自伝的な作品だとお聞きしましたが?
監 督:おっしゃる通り、この話は高校時代の自分と親友との間に起きた本当の話です。最初は日記のように書いていたのですが、それを脚本形式に直してまとめました。

質問4:劇中に飯島愛さんが出てきますが、監督は飯島さんが好きですか?
監 督:飯島愛さんは我々にとって共通の思い出です。喋っている言葉が分からなかったので、より一層ミステリアスでした(笑)。
MC:最後に監督から一言お願いします。
監 督:皆さんご来場ありがとうございました。この映画を通して台湾社会を垣間見ていただければと思います。もし作品を気に入ったのなら、それを友達や知り合いに広めてください。もし気に入らなかった場合は、それを誰にも言わずに、そっと私に教えてください(笑)。

大学生はもちろん、主人公たちと同じ高校生や、大学の卒業生、一般の方も含め場内は満席となる盛況ぶり。普遍的な学生たちの友情や葛藤を描いた本作に、自分たちとは違う何かを感じ取る方、共感を覚える方、学生時代を懐かしむ方と、反応は様々でしたが、活発に意見の交わされる意義ある講演会となりました。