フランス レジスタンスの英雄ジャン・ムーランを逮捕・拷問し、様々な戦争犯罪で罪に問われながらも、大戦後にはアメリカ軍工作員として活動、その後には南米の軍事政権に貢献し、チェ・ゲバラの暗殺計画をも立案した元ナチス親衛隊員クラウス・バルビーの衝撃のドキュメンタリー映画『敵こそ、我が友〜戦犯クラウス・バルビーの3つの人生〜』が多くの観客を集めて、現在、銀座テアトルシネマ他にて公開中。

本作の公開を記念致しまして、ユダヤ人大虐殺の証言映画『ショア』やアイヒマン裁判を描いた『スペシャリスト/自覚なき殺戮者』の公開に携わり、ベストセラー「靖国問題」の著者としても知られる高橋哲哉氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)を迎え、本作の見どころを語っていただくトークショーが2日に行われた。

高橋教授は、丁寧な作品解説に加え、本作は戦後日本とも無関係ではないという話題まで、作品理解により深みを増す内容を話された。満席となった会場では、メモを取る観客も多く、熱気にあふれており、トーク終了後も高橋教授に質問の列が出来る程だった。改めて、一人の戦犯の人生に留まらず、現代社会の抱える問題を提示している本作への関心の高さを感じ取ることができたトークショーになった。

【高橋哲哉氏コメント】
クラウス・バルビーは元ナチスの大物戦犯なんですが、皆さんバルビーのことをご存じなかった方が多いんじゃないかと思うんです。おそらくアイヒマンをご存知な方は多いんじゃないですか? 世界的にナチ戦犯の象徴というとアイヒマンですね。ドイツが戦争に敗れてから、戦争指導者達が“戦犯”として、ニュルンベルク国際軍事裁判で連合軍によって裁かれました。連合軍が行ったたくさんの戦犯裁判がありますが、逃れて生き延びたナチの戦犯は少なくない。その中でアイヒマンはアルゼンチンへ逃れました。1960年代はじめにイスラエル秘密警察のモサドが居場所をつきとめたんです。イスラエルはナチに対してはユダヤ人の大虐殺を行ったということで、大物戦犯を地上の果てまでも追いかけていってそれを裁くという方針をとっていましたから、アイヒマンを拘束し、極秘にイスラエルに輸送して、鳴り物入りで裁判を始め最終的には処刑をした。死刑を廃止していましたが、このケースのみ絞首刑にしたので、当時日本でも大々的に報道されました。

フランスにおいてはアイヒマンも有名ですが、ナチス残党といえばバルビーなんですね。フランスでは死刑を廃止いていたので終身刑になりました。バルビーはボリビアに潜んでいた際に、ミッテラン政権とボリビアの左翼政権との一種の取引で裁かれることになりました。私は彼が戦後、ボリビアに潜んでいたことは知っていましたが、こんな途方もない人生を歩んでいたとは知りませんでした。戦争が終ると戦犯は拘束されて戦争犯罪として裁かれたのに、ではなぜ彼が裁かれなかったのか? それは、アメリカの政策つまりアメリカ陸軍情報局CICに対ソ連、対共産主義戦略のために雇われたからだったんですね。彼はそういう面での力をナチの時代に身につけていた。しかしフランスはバルビーを裁こうと彼を探していたため、アメリカはバルビーを匿う判断をした。それがラットライン、つまりバチカンを経由しているというのもポイントだと思います。ローマ法王庁の中の右寄りの人たちが、ナチの戦犯を逃がしているというのは周知の事実でした。同じようにして逃げた戦犯にはヨーゼフ・メンゲレ、ヴァルター・ラウフなどがいました。 『ショア』という9時間半にもおよぶホロコーストについての証言映画の中で、ガストラックを考案したのがヴァルター・ラウフであることは出ていました。その彼がここにも登場するとは、驚きました。

チリのアジェンデ政権、社会主義政権が成立してクーデターでつぶされてピノチェット将軍が大統領になってという背景にもCIAが活動していたのですが、バルビーがボリビアでCIAのエージェントとして活動し、しかもゲバラ暗殺に関与していた。これは十分に可能性がある。バルビーはボリビアで地位を築いてから海運会社でパリに行った際に、パンテオンに行くわけだけれども、ムーランがそこに祀られているのを知っていたからこそ行く。歴史とはこういうことが起こるのかと思えるほど、事実は小説よりも奇なりと思いました。

本篇の中にジャック・ヴェルジェスという弁護士が出てきたと思うんですが、彼は父がフランスの外交官、母はベトナム人です。フランスの植民地主義を背負って生まれた人なんですね。フランスは、自分たちは被害者だとしてバルビーを裁いているけれども、フランスの植民地主義はどうなるのか? アルジェリアでフランスがやったことはどうなるのか? バルビーと同じようなひどいことをフランスの将軍たちもやっているじゃないか。そういうのを裁かないで、あたかも自分たちが理性の代表だという顔をして、そんなのはおかしいじゃないかとヴェルジェスは言うんですけれども、彼の論理には十分意味があると思うんですね。同じことはアメリカと日本の間でも言える。日本を裁いた東京裁判で、アメリカの行った広島・長崎はなぜ裁かれなかったのか?明らかな戦争犯罪だけれども裁かれない。ヴェルジェスはいちいち挑発的に、社会から悪魔化されている側の弁護者として問題提起をしている。彼の議論は植民地主義に対する批判として大きな意味があると私は思います。

この映画はフランスでの話、ヨーロッパの話、南米の話というだけでなく、日本の戦争と戦後についても大きな問いを投げかけていると思います。バルビーはCIAの手先としてボリビアにおいてああいう活動をしていた。日本にもいませんでしたか、そういう人が?去年、週刊文春で報道されましたけれども(*下記注釈あり)、アメリカのティム・ウィナーという人が「灰の遺産」という本を出しました。ジャーナリストとしてCIAの歴史を調べてまとめて出したんですが、そこに岸信介首相がCIAのエージェントだったことが書かれている。岸信介首相は満州支配の大立者としてA級戦犯として巣鴨プリズンに入れられたが、アメリカの反共政策の流れの中で釈放されて戦後は首相にまでなった。彼の選挙資金はCIAが負担していたとまで言われている。彼が表の人だとすると裏には児玉誉士夫という人がいる。この人もA級戦犯で収容されていたが、結局釈放され、CIAとつながって日本の裏の政治の顔として君臨していた。戦後日本は、ある意味ではまるごとバルビーの様な存在だったとも言える。お互いに戦争で敵同士だったのに、戦後アメリカは反共政策のために日本を利用した。バルビーもアメリカに利用されることによって逆にアメリカを利用しながら生き延びた。戦後日本もそうじゃなかったでしょうか? ここに、日本人がこの映画から受け止めるべき問いがあるんじゃないかと思います。これは私の個人的な感想です。

*『週刊文春』2007年10月4日号に、岸がCIAから資金提供を受けていたという記事が掲載された。文春では『LEGACY of ASHES The History of the CIA』の紹介がなされている。