鉄道とともに栄えたアルゼンチンの小さな町で、ある日、突然、路線廃止が宣告される。誇りある仕事を奪われた5人は、失業という絶望によって予期せぬ方向へと導かれていく。鉄道民営化によって6万人もが失業した90年代のアルゼンチンを背景に、大人たちの失望、そして子供たちが作り出した希望を描いた『今夜、列車は走る』の日本公開を目の前に、ニコラス・トゥオッツォ監督が来日し、3月17日(月)アルゼンチン大使館において記者会見が行われた。

監督:「この映画を作っていたときには、アルゼンチンとは地球の反対側に位置する日本で、まさか公開されるとは考えもしませんでした。文化が違う方たちがこの映画を見てくれることをとてもうれしく感じています」

Q.非常に完成度の高い初長編映画ですが、脚本はどのように書かれたのでしょうか?
監督:「脚本は、友人であるマルコス・ネグリと共同で書きました。脚本執筆時、アルゼンチンは危機的状況にあったため、周りで起こっていることを見極め、そして中流階級の人々の没落を描いた作品を撮りたいと感じました。この映画自体はフィクションですが、語られているエピソードは、自分たちが実際に体験したこと、そして人から聞いた出来事を基にしたものです」

Q.ラストシーンは現実から着想を得たのでしょうか?
監督:「ラストシーンは、私が想像して作り出したものです。厳しい現実に日々立ち向かっている人たちがたくさんいることを考えると、楽観的な要素をラストに持ってきて、希望を与えられればと考えました。この映画のラストシーンのようなことが起きたとしても、次の日も同じような生活が続くのはわかりきったことです。しかしながら将来には少なからず希望があるというアイデアを表現したかったのです」

Q.この映画を作るきっかけとなった動機を教えてください。
監督:「アルゼンチンでは、鉄道職員は誇り高い職業で、家族代々受け継がれていく職業でもありました。大金持ちにはなれないけれども、生活は安定していたのです。しかし、自主解雇を要求されたことによって、一夜にして生活の術を断たれたとしたら、人はどのように生きていくのかを描きたかった。映画の冒頭では鉄道員であり、父親でもある男が自殺するシーンがあります。どうしようもない絶望を感じた時に、彼が取れた行動は自殺でしたが、彼の息子が希望という出口を見つけるという話の流れは最初からできていたものです」

Q.いつ頃からこの映画について考えはじめたのでしょうか?
監督:「1998年から考え始めました。経済危機によって失業者が生まれたセクターの代表的なものが鉄道職員でした。そして、彼らが抱える困難や状況を聞きに自ら赴きました。この映画は映画都市として行政が映画制作に援助を行っているサン・ルイスという町の脚本コンクールで受賞したことによって、資産提供を受けたことによって制作できたものです。サン・ルイスの人々を俳優、そして技術者として参加してもらうことが条件でした。主演俳優、2人の女優、子供役の3人はブエノスアイレスから来てもらいましたが、残りはサン・ルイスの人々が初めて俳優に挑戦して、演じました」

Q.現在もアルゼンチンは、映画と同じような状況にあるのでしょうか?
監督:「以前と比較すると、少しずつ状況は良くなっています。打撃を受けた鉄道セクターはもちろん廃線になり、線路も無くなってしまったので、列車が走るシーンはブエノスアイレスで行いましたが」

(Report:Nori KONDO)