愛し合っている男と女でも、些細なことが原因でうまくいかなくなることは多々あることだろう。『うつろいの季節(とき)』では関係が修復できるかどうかには、相手を想う気持ちだけでなくタイミングも大切ということがよく描かれている。監督はイスタンブール出身のヌーリ・ビルゲ・ジェイラン。本作は短編作品でキャリアをスタートした彼の長編4作目となる。上映にはヌーリ・ビルゲ・ジェイラン監督の友人であり、本作に俳優としても出演しているメフメット・エルユルマズさんがゲストとして迎えられた。
「親しい友人であり仕事の仲間である監督ヌーリ、映画のスタッフ、全てのトルコの人々からたくさんの愛情をお持ちしました。みなさんにお伝えします。」

Q:20年来という監督との関係について
2人とも映画の勉強をしていたのですが、25年ほど前から非常に多くの映画を見て、分析をしました。その中には小津安二郎監督のものもあります。そしてまた、世界の映画人の仕事も見ました。私たちは映画を、稼ぐための職業としてではなく、芸術だと認識してきました。ヌーリは若い頃から知られている写真家で、現在も欧州各地で話題を集めています。実は彼は自身のウェブサイトの中で、私の短編映画で初めて映画に関わったと言っています。彼は写真家から映画監督になって、映画全体に新たな美の感覚を持ってきたと思います。それは世界に伝わっているのではないでしょうか。

Q:「息子に捧ぐ」という最後のクレジットについて
世界各地で同じ質問がありますが、ヌーリ監督は、息子のことを一番貴重な存在だと言っています。

Q:監督が演じるイサは解釈によってはすごく嫌な男にも見えますが、メフメットさんにとって監督はどのような人でしょうか?
これは自伝的な映画ではありません。しかしヌーリは男性の世界をよく知っているし、自分の世界をよく観察しています。自分から出発して男性の世界を知っていると言ってもよいでしょう。ヌーリの視点は、良い人間、悪い人間としてではなく、どんな良い人にも悪い面があり、悪い人にも良い面がある。白と黒ではないという風に見ています。彼の人生観から出発して、世界に引き入れようとする手法を試みています。ストーリーは独自のストーリーではなく、どの国でもこのようなストーリーに出会うことは出来るでしょう。

Q:ソファーでのセックスのシーンについて、何テイクくらい撮影したのか?長回しの意味についても教えてください。
ヌーリ監督は、気が済むまで何度も撮るタイプの監督です。したがって、あのシーンでも監督と女優さんは何度も転び、体が真っ青になりました。シーンの長さについては、世界中の監督からも様々な解釈が行なわれています。特に米国では、世界の映画史において最も重要な性愛シーンの一つだと言われています。みなさんもお気づきだと思いますが、この映画の登場人物は感情の波が上下しています。男性の一方的な攻撃のように思ったとたんに、女性からのアプローチも確認されます。

Q:ストーリーの結末をハッピーエンドにしなかった理由は?
私たちの人生はいつもハッピーなストーリーでできているわけではないし、ヌーリ監督も現実に近ければ近いほど、仕事に満足を得ることが多いです。

(Report:Miwako nibe)