●監督からの挨拶●
「描いた舞台は、中国の歴史の中でもトップの規模である山峡ダムプロジェクトですが、私はこの作品をただ記録映画として提供しようとは考えていませんでした。私が撮りたかったものは、人が現実にどう付き合っていくのかという自我の問題です。ですから、国境を越えて共感を持ってもらえると思っています。」と、作品の存在意義について語るジャ・ジャンクー監督の眼差しは、人に真摯に向き合ってきた澄んだ目をしている。世界中の監督が嫉妬する、監督の目線に迫る。

●監督の作品から感じる“生”のまばゆさ、というテーマをどう追求したか、映像と音の点で教えてください●
「これまでの作品では、人間関係に焦点を当てることが多かったのですが、今回の作品では人間が持つ肉体から発信される美を追及しました。まず、映像の点をお答えします。私が、まず感動したのは、本当に山水画のような緑がかかった風景です。そして、私が生きてきた世界とはまったく違う世界の中、断崖絶壁の厨房で料理を作っている人々の姿。そして、山峡についてから出会った建物を壊している人々の肉体美。こういったものをすべて撮りたいと思いました。撮影監督のユー・リクウァイは、僕が『山水画のように撮りたい。』というと、その緑がかかった映像を作りだしてくれましたし、巻物を広げていく時のように、長い時間シーンを撮れるように、レールを長く引きました。彼とは多くを語らずともイメージを共有できました。彼は本当にプロなんです。次に音の点ですが、僕がこだわったのは、日雇いの労働者がビルを壊している時に発する音です。機械が壊すのでなく、人がものを壊す時に出す音に、一種のリズムを感じたので、録音監督に、その音を雑音として処理しないように言いました。」

●ビルが飛んでいってしまうシーンがありますが、あれはどういう意図で撮ったのですか●
「あれは、山峡に降り立った時に最初に目についたタワーでした。現地の人に聞いてみると、あれはダムができることを記念したメモリアルタワーになるはずだったのですが、途中で予算が足りなくなって、工事がストップしてしまったのだそうです。その事実を聞いて僕は非常に違和感を感じました。今、4000年以上の歴史をかけて作られた町が2年ほどでなくなろうとしているのに、このタワーは残るのです。僕はこのタワーが飛んでいってしまえばいい、と思ったので、こういったシーンをいれたのです。」

●監督のキャラクターは、実在の人物を描いているように感じます。キャラクター設定はどのようにしていくのですか●
「主人公の男性・女性を今回中年にしたのは、彼らが“過去”を背負っているからです。今までは若者が多かったのですが、彼らにはまだこれからスタートを切るタイミングがありますが、中年の人びとにはそういった明確なスタートというものはないと思っています。今まで解決してこなかった問題を解決するために行動している彼らと、完成してしまったダムのプロジェクトのその後の世界と重ね合わせています。また彼らが持ち歩いているペットボトルやかばんに彼らのキャラクターの要素を付け加えています。ペットボトルであれば、シェン・ホンの夫に対する枯渇した思い、そしてサンミンが持つかばんには、彼の一見ソフトな外見とは反対に、彼が垣間見せる人に有無を言わせぬ決断力を表現しました。そして、サンミンが泊まる旅館のじいさんがかぶっている帽子にも、その場に住む人が自分に刻んだ歴史性を物語らせています。」

●ベネチア映画祭で金獅子賞を受賞した時の気持ちを聞かせてください●
映画祭に作品を出品する前に、溝口健二監督のシンポジウムに参加するために来日していました。その時に、オフィス北野の市山プロデューサーに作品ができたことを話すと「出品してみたら?」と言われたんですね。その言葉をきっかけに編集を始めました。でも、去年の春は父を亡くしていたことも重なり、出品し終わった後はもうくたくただったので、『受賞できるかな?』なんて考えてもいませんでした。ですから、受賞した時は、ずっと自分のことを支えてくれたオフィス北野の方々にその場を借りて感謝の辞を述べました。自分が中国の上映禁止の監督ブラックリストに載ってしまった97年から03年まで、彼らに支えていただけたからこそ、『プラットホーム』や『青の稲妻』を撮影することができましたからね。チャンスをくれたのは彼らなんです。」

ジャ・ジャンクー監督の客観的でありながら、人びとの愛らしい姿を切り取る力を、ずっと存続させるために、頑張っていた日本人の姿があった。

中国で実際起こっているプロジェクトの中で、必死に生きようとしている人びとの姿を記録した『長江哀歌』。
8月、シャンテシネ他全国順次ロードショーです。

(Report:Kanako Hayashi)