紅白の視聴率が驚くべき数字を叩き出していた時代“昭和”において、歌番組やレコードから流れてくる“歌謡曲”は多くの人の心に想い出と重なって残っているのだろう。

時代とともに生きてきた歌謡曲。厳選12曲をモチーフとして創られた作品を集めた『歌謡曲だよ、人生は』の初日舞台挨拶が2007年5月12日シネスイッチ銀座にて行われた。

『僕は泣いちっち』からは磯村一路監督、青木崇高さん、伴杏里さん。『女のみち』からは三原光尋監督、宮史郎さん。『東京ラプソディ』からは山口晃二監督、瀬戸朝香さん、そして応援に渥美二郎さんが駆けつけ、以上8名が初日舞台挨拶に登壇した。

「子どもの頃、塾の帰りに宮さんの歌を口ずさんで帰ってました。」と語ったのは三原監督。子どもの頃から宮さんのファンで、今回『女のみち』で宮さんと映画を作れた事がとても嬉しかったと語った。

一方、宮さんは「芸をするのはなかなか難しいもんです。」と謙遜して映画初主演を語った。又、作品中で体に6時間もかけて刺青を入れたエピソードについては「一番きつかった。風邪もひきましたしね(笑)」と笑顔で答え、奥様にも刺青姿を風呂場で見てもらった事を明かした。

「最後を締めくくる作品として、見終わった皆さんが“あぁ、面白かった”と言ってもらえるように作りました」と作品について語ったのは山口監督。『東京ラプソディ』はもちろん、東京の観光も含めた作品作りに苦労もあった様子でした。

バスガイド役で“宮崎交通”の制服を着用していた瀬戸さん。「(制服の)着方に大変こだわりがありまして、他にも歩き方や手の位置、マイクの持ち方までを学んで演じました。」と語った。

撮影の東京観光で印象に残った場所はという質問に対しては、「神田の方に行き、ニコライ堂やとげぬき地蔵(笑)。あと東京タワーにも上りました。」と答え、東京タワーの外階段を上った時は「風が強くて怖かった」と語った。

観客に対して「数々の映画が公開されるなか、この映画を観に来てくださった皆さんはお目が高いです。年齢層も高いです(笑)。」と笑い混じりに挨拶したのは磯村監督。今回は12曲に限定しての作品創りであった為、「自分の好きな歌謡曲が入ってないという方は、映画を応援してくだされば次に繋がります。」と旨く宣伝した。

作品中の坊主頭からすっかり髪の毛が伸びた青木さん。「ボクシングの練習はしていたんですが、いざ相手がいてやるとガードの仕方が分かってなかったみたいでボコボコにして頂きました(笑)。」と作品中の苦労を語った。

一方、同作品でラインダンスに挑戦した伴さんは、「2日間の練習の内、1日を自分が熱を出した為に無くしてしまったんですが、ラインダンスの先生がスパルタで怖かったんですが(笑)、その方のおかげで覚えることが出来ました」と語った。

宮史郎さんによる「女のみち」の歌で始まり、渥美二郎さんによる「東京ラプソディ」の歌で締めくくられた今回の舞台挨拶。青春を昭和で過ごした人にとっては懐かしく、昭和を経験していない若者にとっても、時代を超えて歌謡曲の良さが感じられるだろう。

(Report:Tomoe Yuita)