早稲田大学創立125周年を記念いたしまして、映画『あかね空』試写会および本映画企画の篠田正浩氏、本映画の原作で直木賞作家:山本一力氏、早稲田大学:安藤教授らによるシンポジウムを開催いたしました。
テーマとしては200年の時を越え、都市の様々な変遷を経て、江戸から東京の今に受け継がれてきたもの、失ったもの、蘇ろうとしているもの、蘇らせたいものを、人々の生活や考え方、夫婦、家族の有り様などを通して現代日本の問題点が語られました。
参加した早稲田大学学生の面々は、映画試写会に加え3名のお話にすっかり引き込まれ、うなずきながら映画を思い返していました。

*浜本正機監督挨拶(上映開始前)

こんななりをしてますが、現場では真面目に撮影してました。
映画を作るにあたって、調べてみると人の世は変わっても人の営みは同じだということが分かりました。本作品は豆腐屋の物語ですが、豆腐屋にしても材料・石臼などで大豆をすりつぶす工程・型にはめ豆腐の形をつくる工程など江戸も現代も基本は変わりません。人の営みも同様に変わりないと思います。そうした部分を感じていただけたらな、と思います。
この映画は早稲田大学の本庄の施設(早稲田大学本庄キャンパスの本庄情報通信研究開発センター〈NICT〉)でVFXのシーンを仕上げました。その施設で仕上げた映画冒頭の永代橋のシーンなどを見ながら江戸情緒を感じてください。

*山本一力・篠田正浩・安藤紘平鼎談

安藤:篠田さんは「スパイ・ゾルゲ」を最後に映画監督をやめると公言されてましたが、本作品を作るにあたっての動機について教えてください。

篠田:「スパイ・ゾルゲ」は昭和を復元させるという想いを成し遂げ、精魂尽き果て、もう監督はすまいと決断しました。その後も映画には携わりたいので小説を読んで題材を探していると、「山本一力」という珍しい名前の作家の本が目に留まりました。以前、水上勉さん原作の「あかね雲」という作品を撮ったので、茜色に注目する人が他にもいるのだということで、山本さんの「あかね空」という作品に興味を持ちました。読んでみると、江戸の町並み・情緒を絵にする監督は大変だなと思いました。その後は企画を進めるわけでもなく、そのままにしておいたんですが、ずうっと自分の中に残ってなくならなかったんです。あるとき、雑誌での対談で山本さんとご一緒することになったんですが、とても文学者とは思えない世知に長けた人だと感じました。例えば株の仲介とか大工の棟梁とか。こういう個性をもった人が「あかね空」を書くのかと思い、映画の話をしたのが運のつきでした。

山本:篠田さんがお上手だったのは、対談の後の雑談で長屋の風景や永代橋を見たいと思いませんかと、話をされたんです。そりゃあ見たいですよね。それで映画化の話が進んでいったんです。

篠田:映画監督というのは人物がいる背景を作らないと撮れないんです。「あかね空」の場合なら深川を描かないといけない。深川を描くなら墨田川、そしてそこにかかる橋=永代橋を描かないと映画のでそのようにお話いたしました。
以前、石原慎太郎さんの小説を映画化したとき、「作品は俺の愛人だから、勝手な作品にするな」といわれたことがあります。遠藤周作さんは「愛娘(まなむすめ)」とおっしゃっていました。それほど原作者は自分の作品がどのように映画化されるか気にされるものなんです。
「あかね空」の場合、まともにやると5〜6時間の映画になるような話を2時間にすることを山本さんが理解してくれるかどうかが難関でしたが、山本さんは原作料のことも一切何も聞かないでお任せしてくれました。

安藤:本作で描かれる江戸の人情についてお聞かせください。

山本:江戸時代というのは、人間が主役の時代なんです。本当はいつも人間が主役のはずなんですが、現代では道具が偉そうにしている。車の中の装飾品に有り金をつぎ込んでしまうような人がいたり。
江戸の面白いのは、江戸が始まる慶長8年つまり1603年の人と、江戸時代の尻尾にあたる慶応4年の人が話しても会話が成り立つんです。現代では10年違うと、もう会話が成り立たなかったリする。江戸は260年余にわたり、やってることは同じだった。今の時代に、時代劇や時代小説に注目が集まるのは、現代人が抱えている飢餓感あるいは焦燥感といってもいいですが、そうしたものをぴたっと満たしてくれるものを持っているからだと思います。