スラム街で、家を掃除したり、料理を作ったり、家族の洗濯するのが仕事の少年マキシモ。ホモセクシャルであるが、家族に当然のように受け止められながら暮らしている。家族はこそ泥で生計を立てており、マキシモがその片棒を担ぐこともしばしば。しかし、マキシモが若いハンサムな警官ビクトルに尊敬と好意を抱き始めたことにより、マキシモと家族の関係に大きな変化が生じてくる……

マニラのスラム街に暮らす少年の成長を描き、モントリオール映画祭優秀新人監督賞、ロッテルダム国際NETPAC賞など、多くの映画祭で賞を受賞した『マキシモは花ざかり』。
監督のスレウス・ソリトは、フィリピンの先住民族の日常を描いたドキュメンタリー『神聖なる真実の儀式』(02)で、2003年山形ドキュメンタリー映画祭で出品されれ、今作が初の長編映画となる。
第7回東京フィルメックスで上映後、監督を迎えてQ&Aが行われた。

Qフィリピンではマキシモのようなスラムに暮らす子供への.公的な支援体制はあるのでしょうか。また、作品には映画の古典的な技法を感じました。ラストシーンは『第三の男』を彷彿とさせますが、意識しているのでしょうか。

監督「フィリピンでは、公的な教育機関でも、生徒が小額ですがお金を支払わなければなりません。なので、彼らにとっては学校に行くこと自体も容易ではありません。また、教師で汚職をする人もいますが、それだけ人々が貧しいのだといえます。古典的な技法については、私の母が大の映画好きで、私もフィリピンの映画の黄金時代だった70年代の作品を多く観ていました。ラストシーンについては、おっしゃる通りです。劇中のDVD映画館で『第三の男』の上映シーン入れようとしたのですが、権利料が高かったので諦めました。(笑)」

Q.脚本にミチコ・ヤマモトとありますが、どのような人ですか。

「彼女はフィリピン人と日本人の両親を持ち、2つの国の良い面を持っている女性だと思います。アジアフォーカス福岡映画祭で上映されたフィリピン映画『Magnifico マグニフィコ』でも脚本を担当していました。」

Q.マキシモ役はどのように選ばれたのでしょうか。

「街でバレーボールをするゲイの人たちに声をかけるなど、100人程の少年のオーディションをしました。本物のゲイの人だと、映画やテレビの影響なのか、過剰に演技をしてしまうので、ゲイではない少年を選びました。マキシモを演じたのは、ヒップホップをしていた双子の少年の一人で、もう片方の子の方が実は女性的な子で、その子の方がこの役をやりたがっていたのですが、私達は女性的でない子をあえて選びました。また、ビクトルを演じたのも素晴らしい俳優で、彼とは私が新人俳優のアクティング講習の講師をしていた時に知り合いました。誰もが涙を流すような素晴らしい演技をするので、私は彼のことを『私のメリル・ストリープ』と呼んでいました。(笑)私が長編を撮る時には出演して欲しいと言っていたので、この作品でようやくそれが実現しました。」

Q.スラムといえば、悲劇的なラストというイメージでしたが、この作品では違いました。あえて白黒つけないことと、女性でもない、男性でもないゲイを主人公にしたのは関係があるのでしょうか。

「昔から、フィリピンでは、両性具有者は“シャーマン”という、神と精神的なコネクションを持てる英雄的な立場でした。しかし、植民地時代に、ゲイは悪であるという考えに侵されるようになりました。そういった意味で、少年は純潔な存在を表しています。」
(t.suzuki)