今の日本人にとって、これほど関心の高い映画が他にあるだろうか。『めぐみ—引き裂かれた家族の30年』。そう、この映画は北朝鮮による拉致問題を扱った作品だ。
1977年、忽然と姿を消した横田めぐみさん。何の情報もなく、家出説までもがささやかれ、家族への冷たい視線が投げかけられる日々。そんな中でようやく発覚した北朝鮮による日本人拉致。拉致被害者の数人が無事に日本に帰国する中で、未だに娘の帰りを待ち続ける横田滋、早紀江ご夫妻。北朝鮮によって人生を変えられてしまった家族の30年が描かれた本作。その映画の記者会見が、めぐみさんの42回目の誕生日となる10月5日行われ、監督のクリス・シェリダン、パティ・キムご夫妻、そして横田滋、早紀江ご夫妻出席のもと行われた。

新聞記者、キャスターという、ジャーナリストとしての顔をお互いに持ち合わせる監督夫妻。そんな彼らがおさめた一つの家族の物語は、我々の予想に反した作品となっている。非常に政治色の強い拉致問題を、彼らはヒューマンな物語として描いたのだ。「私がこの問題を初めて知ったのは、2002年に小泉元首相が北朝鮮を訪れた時でした。そのときの気持ちは衝撃でした。政治的な背景による問題だが、自分たちの家族を取り戻そうと戦っている人々の姿が一番心をうった。普通の銀行員、主婦の方に1977年に起きた想像を絶するような人生を変える出来事。それに立ち向かう横田ご夫妻の姿に強い感動を受けたのです。」(クリス・シェリダン監督)

こう語るように、映画中には拉致被害者たちの普遍的な一面が多く描かれている。プライベートでカラオケを気持ちよさそうに歌う増元照明さんや、初めて会った外国の政治家の体の大きさを面白そうに知人に聞かせる横田早紀江さん。そして、記者会見などの公の場では決して見たことのない、口げんかをする横田夫妻。その様子は意外なほど普通の人間である。今までの公の場での姿からは想像できなかった、我々と変わらぬ普遍性なのだ。「あのシーンはカットされると思っていました(笑)カットしなくても日本では映らないだろうと思っていたのでお恥ずかしいです(笑)。」(横田滋さん)「あれはしょっちゅうやっていることなんですよ(笑)。私たちはごくごく普通の庶民の夫婦なんです。だから皆さんと同じようにしょっちゅう口げんかもします(笑)。」(横田早紀江さん)

そんな今まで知ることのなかった横田夫妻の普遍性。それが描かれていることによって、この映画はより、拉致問題の悲惨さ、残酷さ、壮絶さを表現している。「初めて会った時、お二人にプライベートな部分を撮らせて欲しいとお願いしました。この問題を、何も知らない海外の人に理解してもらうためには、登場人物たちが僕らとなんら変わることのない、リアルな普通の人間であることをわかってもらわなければいけないと思ったんです。30年間娘のために戦っている彼らは、政治家でもなければ、外交官でもない。普通の人なんです。そのことをリアルなやり方で伝えたかった。」(クリス・シェリダン監督)「この映画の最後には”両親に捧ぐ”という言葉が出てきます。その理由はとても簡単で自分たちの両親が一番私たちを愛してくれていることを実感したのです。横田ご夫妻の終りなき献身。それは本当に素晴らしい。」(パティ・キム監督)

そんな描き方をした本作はすでにアメリカで一部公開がされている。この映画を観た観客の反応は監督たちの予想をはるかに超えるものだったそうだ。「なぜこれほどの話を知らなかったのだろう、すごい物語なのに」といったリアクションを多くの人たちが示したという。いくつもの映画祭でも観客賞や、最優秀ドキュメンタリー賞を受賞し、その評価は裏付けられている。このようにこの映画を通して、今まで海外の人たちが関心のなかった拉致問題を理解することの意義は何よりも大きい。「日本では世論を高めるために講演などをいくつもしてきました。しかし、海外の世論を高めるためにはこの映画の価値は非常に大きいものです。そういった点で、拉致を知らせるために立派なものが出来上がりました。」(横田滋さん)「ブッシュ大統領や国連の方はまだこの映画を観ていないのですが、11月20日にワシントンD.C.で試写会を行います。そこに外交官、政治家の方々を招く予定なのです。」(クリス・シェリダン監督)

このようにこの映画はその意義を全うし、拉致問題というものを広く世界に知らせていく。しかし、海外の評価はその意義を裏付けたが日本にとってあまりにデリケートなこの問題を、日本人がどう受け止めるのか。それを監督自身も強く気にしていた。そこで監督は、記者会見前に行われた完成披露試写会上映後、自ら観客にインタビューをしたのだそうだ。「正直にいって、期待よりもさらに大きなリアクションでした。海外の人たちがしたリアクションと同じなんです。怒り、悲しみ、何かをしたい。そういった反応が日本でも返ってきました。」(クリス・シェリダン監督)という。日本でもこの映画の意義は証明されたようだ。

そんな大きな意義をもつこの映画の試写会、記者会見が、めぐみさんの誕生日となる10月5日に行えた事について横田夫妻には感慨深いものがあるようだ。「めぐみがいるときは友達も呼んでにぎやかに誕生日を祝っていたんですけど、いなくなってからは息子たちとささやかにお祝いをしていました。でも平成9年にめぐみがピョンヤンにいることを知った時は大きなケーキを買って報道の方々と一緒に食べたんですけど、やっぱり北朝鮮ではこんなに甘いものは食べられないだろうなとおもって、その翌年からは小さなケーキを買っていました。」(横田滋さん)「13歳で連れ去られて30年近い年月が経っても生死は闇の中。その中でよくがんばってるなって自分で思うんです。よくやってるねって。たくさんの方の支援の中で守られて、今ようやく安倍さんが経たれて、拉致問題は転換期にあると思います。普通の誕生日も過ごせない不自然な生活ではありますが、こういった状況の中で、この素晴らしい映画が日本で上映されることはどんな大きなケーキよりも大きなお祝いです。」(横田早紀江さん)
(林田健二)