9月13日(水)、『ワールド・トレード・センター』のオリバー・ストーン監督が10月7日の公開に先立ち来日し、パーク・ハイアット東京にて記者会見を行った。

21世紀最初の悲劇、“9.11“を舞台に、政治的な背景や歴史的な評価ではなく、TVの画面やその他の報道では決して知りえなかった決して知りえなかった真実の物語の人間ドラマ『ワールド・トレード・センター』。極限状態の中で「希望」をもたらしてくれた男たちの姿を描く。
オリバー・ストーン監督は『ミッドナイト・エクスプレス』(78)、『プラトーン』(86)、『7月4日に生まれて』(89)の3作品でアカデミー賞を受賞し、今作品でも本年度アカデミー賞最有力候補といわれている。

以下、質疑応答—————————————————————–
あいさつ;
今日はお越しくださいましてありがとうございます。(メインテーマ)この音楽が大好きなんで、この音楽を聴いていると、ゆったりした気分になります。心地よくイスに座りました。

Q:9.11を家族の愛や絆で描いたのはなぜですか
A:9.11以来5年経たったが、あのことに関してあまりにも政治的な解釈が多く、リアリティよりも神話化してしまっているという現実がある。現実に何が起きたのを、現場にいた人間の立場から描くということは大事な役割だと思う。たとえば、ベトナム戦争も「地獄の黙示録」があり「ディアハンター」があり、そのあとに、戦っている戦士はどうだったのかを描くために「プラトーン」を作った。今回の「ワールド・トレード・センター」では、閉じ込められた人たちはどうだったのかを描いた。ルーズベルト大統領が「恐怖とは自分の心の中にある」と言ったように恐怖が勝ってしまい、多くの人たちは、あのときにどれほど苦しんで戦ったかを忘れてしまっている。じつは、助け合ってみんなの心がひとつになり、いろいろいいことも起きていたと思う。暗い部分を見つめているアメリカというなかで、人間的なものをとらえることによって、光や希望、夢を描きたかった。

Q:キャスティングのいきさつを教えてください
A:ニコラス・ケイジは、いろいろな役をやっており、あの年代の俳優のなかではもっとも優れた俳優のひとりだと思う。自分の年齢より高く、寡黙で成熟した大人の男を演じるのは、彼にとっても今回が初めてだろう。実在のジョン・マクローリンはユーモアもあるが、真面目で決して茶化したりしない人。ニコラス・ケイジはこういう役を演じる中で、色々考えてくれた。はじめは静かな彼が、死が近づく中で変わっていく様子を、じつに優れた演技を目だけであらわしてくれた。感情をこめた素晴らしい演技だったと思う。
マイケル・ペーニャは「クラッシュ」を見てとてもいいなと思った。ニコラス・ケイジがある意味で孤高の人というか、人と交わるタイプではないのに対し、彼は本当にフツーの人。ドンキホーテとサンチョ・パンサのようなコントラストで、人間的にも役柄的にも、バランスがよかったと思う。ジョン・マクローリンとウィル・ヒメノもまさにそのような感じ。先日日本に来日したウィル・ヒメノはコロンビア出身のホットな人。彼は映画のセリフにもあるとおり、6歳から警官になりたくてお姉ちゃんを追いかけて逮捕して遊んだと話していた。彼がサンチョ・パンサのように親しみやすくて、ジョン・マクローリンのほうがちょっととっつき難い感じだった。

Q:瓦礫のセットはどのように作りましたか
A:NYは自分の故郷なので、「プラトーン」や「7月4日に生まれて」を作ったスピリットと同じように、NYの普通の人たちの生活をNYで普通に描きたいと思っていたが、政治的な事情があって、ダウンタウンに近づくことを許可されず、撮影は、全部はできなかった。LAに移って巨大なセットを使うことになった。ふたりが埋まっている部分はあらゆる視点から撮影できる宙吊りの卵のようなものを作った。タワーは1/2、敷地は1/16の大きさで再現した。地下に行くためのトンネルも用意する必要があり、撮影器具の置き場所や人間が通る道を確保するのに苦労した。足場も悪く、普通に荷物を運ぶことが出来なかった。ホコリで空気が悪かったので、日本製のマスクを使ったが、あまりに精巧で声が聞こえなくなり、外しざるを得ず、そのために具合が悪くなった(笑)。とにかくセットには苦労した。

Q:撮影に協力した、9.11を実際に経験した警察官・消防士にはどのような要請をしたのか
A:彼らは本当にすばらしい活躍をしてくれました。男女40〜50人くらい。事件当時、大変なストレスであるにもかかわらず「やらなきゃいけないことやるんだ」と、がんばった彼らに話を聞くのはとても楽しい経験だった。エキストラのなかにはジョン・マクローリンとウィル・ヒメノを助けた人もいて、映画に参加するときも、当時と同じくらい、いい映画を作ろうと一生懸命努力してくれた。もうひとつは、NYのアクセント。LAにもNY生まれの俳優はたくさんいるが、LA生活が長いとNYらしさが薄れていく。彼らの、NY各エリアのアクセントや、独特なあの雰囲気は本物であり、自分の求めていたものだった。NYの地に足が着いている人たちとNYっ子としてともに仕事ができて楽しかった。

Q:監督自身がとくに力を入れたシーンについて
A:救出されたジョン・マクローリンが妻に再会し「君がいたから生き延びられたんだ」というところ。本当に好きなシーンです。音楽も気に入っている。あまり叙情的になり過ぎないように使った。結婚して20年が経ち、子供が4人いるからといって、幸せな夫婦であるとは限らない。お互いを見失っていて、結婚した頃の愛情がなかったかもしれない。ところが、あの日を経て、もう一度強く結ばれた。民間の劇場では、カップルが手を取り合って涙を流していた。それを見て、平和な映画が作れてよかったと思った。政治的な作品を作るといわれることが多いが、夢や希望、信念も持っている。

Q:ふたりを救助に来た海兵隊の方が後にイラクに行った、という説明がありましたが、その理由は?
A:政治的に正しい映画ではなく、どちらにも属さないものを作りたいと思っていた。あの日、アメリカ人は本当に腹を立てたし、復しゅうしてやる、と思ったのは事実。アフガン戦争がある程度まで成功した。ところが、それを終わらせないまま、うやむやなままでイラクに方向を向けてしまった。今では、戦争からどうにも向けられない悪夢の状態だと思う。ただ、これはあくまでも私的な意見。この映画を作るとき、後世の人間がこの映画を見て、当時アメリカ人は何を考えていたのかが伝わる映画を作りたいと思っていた。
救助に来た海兵隊は、少し神に取り憑かれているようなキャラクターだったが、彼だからこそふたりを探せたのも事実。その後、イラクに行ったのも事実です。それをアイロニーと取るか、パラドックスと取るかはそれぞれだと思うが、事実だと思っていただくしかない。

Q:家族についての映画ですが、監督自身は確執があったお父さんを許しているのでしょうか?
A:父親との確執、もちろん死んでしまったので今は幽霊との確執になりますが。強烈な父だったので、父の影響は残っている。だが、結局のところそれは誰にでもあること。子供が親を理解するのはとても時間がかかることだし、もしかしたら死ぬまで理解できないかもしれない。ここ10年間で父をより理解できるようになった。最後のほうは父もそうだった。お互い少しずつ思いやりをもてるようになったからだと思う。とくに男同士は似ているから、対立してしまう。父は第二次に出征して、ベトナム戦争は当然、共産主義に対する正しい戦争だと主張した。私は違う意見を持っていたから、言い合いになる。親子の確執はずっと昔からある永遠のテーマ。ひとつだけ確かなことは、どんなことを言っても父は私を愛していたし、私も父を愛していた。そこがしっかりしていれば、確執があったとしても、親子であると、思います。

Q:10代、20代の若い世代が本作品を見るにあたって、見どころを教えてください
A:若い人に限定するつもりはないが、3000人が亡くなられて20人が救われた。そのうち2名の話を描けて本当に幸運だ。実際に閉じ込められた人間の生の声、インサイドストーリーを聞け、加えて直接関係のある家族の話、アウトサイドストーリーも聞くことが出来て本当に運がよかったと思う。たとえば、フランス革命のときにバスティーユの前にいた人から実際の体験を聞けるのであれば、値段がつけられないくらい素晴らしい話になる。それと同じように、中にいた人が本当に語ってくれたのだから。最も素晴らしい記録として、感じることの出来る映画としてみていただければと思う。

(M.NIBE)