上野一角座にて『ゲルマニウムの夜』大森立嗣監督とこの夏『西瓜』『楽日』の日本公開が決まっているツァイ・ミンリャン監督のトークショーが行われた。
今回のトークショーは大森立嗣監督の熱烈のオファーがきっかけで実現した。

「1本の映画のために映画館があるという事実を経験したのは初めてで、新鮮さを感じています。この先も続いていって欲しいですね。『ゲルマニウムの夜』は映倫を通っていないそうですね。クリエイターにとって、映倫などはひとつの束縛になってしまいますよね。」とトークのでだしからツァイ・ミンリャン監督は大森立嗣監督の苦労を感じ取っているようだった。それもそのはず。ツァイ・ミンリャン監督自身も、自分の作品が本国台湾で受け入れられないことで苦労し、ここまで登りつめた人物だからだ。

「ツァイ・ミンリャン監督の作品が大好きで、映画を撮り始める前に、俳優やスタッフと監督の『河』を観ました。監督の作品を観ると見失いそうになる映画の自由さを再認識できるんです。」と大森監督は話す。

「そう言っていただけてとても嬉しいです。作品を観てくれる人がいると気づくと、その力が次の作品を作る力になります。私の初期作品の頃は、台湾全土から「個人的すぎる」という批判が多く、上映も難しい時期がありました。性の刺激が強く変態映画を撮る監督だとレッテルを貼られてしまいました(笑)でもその頃からもう海外では、僕の作品は認められ始めていました。」と初期の頃の苦い思い出を語る監督、しかしその顔はまるで思い出を慈しむかのような微笑みに溢れている。

「それで僕は町に出て映画のチケットを売ることにしました。上映の5日前まで5枚しか売れていなかったチケットが僕を含めキャスト5人で3時間町を歩き約300枚のチケットを売ることが出来ました。それからというもの、僕は自分の作品を観る観客を“つくる”ことが重要だと思いました。僕は実際の作品についてではなく、「映画とはなにか?」ということを大学や施設でレクチャーをし、宣伝活動をしました。今の若者はハリウッド映画を映画だと勘違いしてしまっているところもあって、そういう部分もいくらか考え方を変えて欲しいという思いもありました。そして、3ヵ月で100箇所をまわり、3万人に映画を観てもらうことに成功しました。その成績が出てから、映画館から監督の映画をかけたい、と声がかかるようになり道は開けました。そして僕には5万人の固定客がつきました。観客に新しいものを提供していくために、マーケットを意識しない映画は必要なんです。大森監督の映画を観て、あなたも僕と同じように忍耐強い人なんだと思いました。そして、このような作品には、一角座のような生存の空間がないといけないと思いました。」

「僕は人生において、わからないことのほうが役に立つと思っている人間です。何かを感じることが人生には残っていくことだと思って映画を作っています。そこて、僕はツァイ・ミンリャン監督の観客を“つくる”という考えに感銘を受けました。ハリウッドものや代理店が作った映画ではなく、僕が思っていることを伝える映画をつくろうと決意しました。今日は大先輩とお話ができてよかったです。」と、会を締めくくった。

一度でも、映画に救われたと思った方は、大森立嗣監督やツァイ・ミンリャン監督のように、身を切って作品を作ろうとしている人々が作り出す賜物に触れてみてください。

(ハヤシ カナコ)