昭和20年4月6日、太平洋戦争の象徴であり、日本の技術の総力を結集して建造された世最大・最強の「不沈戦艦・大和」は、片道分の燃料を積み“一億総玉砕”の旗印の下 最初で最後の水上特攻のために沖縄へ出撃した。そして翌4月7日、米軍艦載機300機の度重なる攻撃によって、召集間もない10代半ばから20代の若者たちが多くを占める乗組員3000余名の魂と共に、東シナ海の海底深くへと没した。

辺見じゅん氏が著した『男たちの大和』は、この「大和」の生存者や遺族への粘り強い取材を経て完成され従来の戦記ものとは一線を画した傑作ドキュメントであり、昭和59年第3回新田次郎賞を受賞した。その作品が今回映画化される運びとなり、企画発表会見が赤坂プリンスにて開かれた。

高岩淡氏(東映代表取締役会長)、辺見じゅん氏(原作者)、角川春樹氏(角川春樹事務所 特別顧問)、佐藤純彌氏(監督)、坂上順氏(東映取締役常務)が順に登壇。
辺見氏は、この作品を“昭和をひたむきに生きた男たちへのラブレター”という。亡くなった人の話を生存者から聞いたことが痛烈に印象に残っていると語り、「女性たちも描いてくださいと監督にお願いしました。あとはお任せします」と挨拶。角川氏は「映画に対する復活の第一弾。散った人々の魂を60年後の今日に伝えたい。魂は永遠です。本気で映画を作ろうと思ったのは、今回が初めて。失敗してもかまいません」ときっぱりと言い放つ。
高岩会長は自身の戦争体験と重ね合わせ、熱のこもった口調で「死に物狂いで、こういう歴史・事実を伝えていきたいと思う」と語る。佐藤監督は大きなプレッシャーを感じているそうで「大和を描くということは、60年前の日本を描くということ。“今我々は大和のことをどう思うのか”を語ることが、犠牲者に対してどう責任をとるのかということに繋がれば」と、坂上常務は「京都の若手プロデューサーたちが映画化をしたいと検討し始め、ずっと眠っていた」と明かし、「大和を知れば知るほど重さに圧倒される。なんとか伝える役目を果たしたい」と述べた。

実は今朝 辺見氏・角川氏姉弟のお母様が亡くなられたそうで、その事実が角川氏の口から語られると一瞬場が凍りつき、驚きとなんとも言えない痛ましい雰囲気が漂う。同時に、日程を変更することもなく会見場に現れた二人の、この作品に対する強く揺ぎない思いを感じ取ることが出来た。キャスティングについては、年内に再度会見を開き発表する予定。

■『男たちの大和/YAMATO』は、2005年秋公開予定。

□作品紹介 『男たちの大和/YAMATO』