小津安二郎が60歳の誕生日にこの世を去って40年。来年の12月12日は、小津安二郎生誕100年を迎える。12月12日に旧松竹本社に新たに建設されたADK松竹スクエアで小津安二郎生誕100年記念プロジェクト記者会見が行われた。
出席者は、松竹副社長の迫本淳一さん、小津作品6本をプロデュースした山内静夫さん、最後の作品となった『秋刀魚の味』など2本の作品に出演した女優の岩下志麻さん、『東京物語』に出演した香川京子さん、小津監督の義理の妹にあたる小津ハマさんらが出席。

松竹副社長の迫本淳一さんは「先ごろ来日された『ギャング・オブ・ニューヨーク』のスコセッシ監督が、今日本の映画をもっと紹介したいので、松竹も協力して欲しいという声を頂いていたり、今回松竹としても小津生誕100年を迎えるにあたり、命日である本日から来年までの1年間様々なイベントなどを開催していきます」とコメント。

生誕100年プロジェクトは、海外では来年のベルリン映画祭、香港映画祭、ニューヨーク映画祭などヨーロッパ、アジア、アメリカと3箇所で、54作品中の現存するフィルム全作品の上映を開催し、国内では現在250名余りの会員で組織する「全国小津安二郎ネットワーク会議」に松竹も参加し、全国で上映会やイベントを開催していきます。
また、現在も紛失している戦前のサイレント作品の発掘を行っている東京国立近代美術館フィルムセンターでは来年の11月より同センターで全作品の上映会を開催します。シンポジウムが2003年12月11日、12日の2日間開催されます。

また、女優の岩下志麻さん、香川京子さんは、小津監督との思い出を語ってくれました。
岩下志麻さん「私は『秋日和』と最後の作品となりました『秋刀魚の味』の2本に出させてもらいました。『秋日和』では入社2年目の時で、そのときは書類を持って廊下を歩く役だけでした。その頃は、まったくのど素人でしたが1発でOKをもらいました。『秋刀魚の味』の頃はすでに自分でいろいろ考えて演技をしている頃でしたが、最低で50回やり直しをさせられました、一番大変だったのは、失恋をして黙って2階に上がってミシンの前に座って考え込むシーンで100回以上のリテイクを出してしまいました。本当に泣きたいくらいで、何が悪かったのか分からなくって、きっと監督が思っていた間と空間に私の気持ちが全然入っていなかったのだと後で思います。海外にいきますと小津監督の最後の作品に出演しているということで、質問攻めにあうのですが、改めで監督の偉大さを感じます。」
香川京子さん「私は『東京物語』に出演させていただき、当時は、まだ大船撮影所にまだ慣れていない時で、緊張していたのですが、監督は優しく指導してくれました。子供だった私にとっては、憧れの原節子さん共演できて監督も優しく教えて頂いた事が今でも記憶に残っております。生誕100年プロジェクトに私もできればお手伝いさせていただければと思います。」

□小津安二郎生誕100年
http://www.ozu100.jp/