TOKYO FILMeX 2002 『チャンピオン』クァク・キョンテク監督ティーチ・イン!彼が私に「自分の映画を撮ってくれ」と言っているような気がして…
4人の幼馴染が、少年から男へと成長して、それぞれの道を歩きはじめる様を、情感と時代色溢れる映像により描き、韓国で大ヒットを記録した『友へ チング』のクァク・キョンテク監督が、同作で裏社会への道を進んだジュンソクを演じたユ・オソンと再びタッグを組んだ『チャンピオン』。世界タイトルマッチ挑戦後に死亡した実在のボクサー、キム・ドゥックの生き様を、今回も80年代の空気に満ちた映像で映画化した作品だ。12月7日、フィルメックス特別招待作品としての上映は、映写機の不測の故障が発生し、完璧な上映環境とは言えなかったが、それでも客席を埋め尽くした観客は、熱い男の姿に満足気であった。上映後のティーチ・インに登場したクァク・キョンテク監督は、不測の事態をお詫びする市山PDの言葉に、「とんでもない、ちょっとトラブルがあったにも関わらずに最後まで観てくださってありがとうございます」とお礼を。「韓国での公開からちょっと時間が経ってまして、久々に今日観たのですが、製作は大変で最後の方ではちょっとうんざりした部分もありましたが、楽しく撮りました」と撮影時を振り返った。
Q.ボクシングを題材にした作品にはアメリカン・ドリームを体現した『ロッキー』等がありましたが、この『チャンピオン』は韓国的な精神を体現した作品と言えるのではないでしょうか?
——おっしゃる通り『ロッキー』はイタリア系移民を主人公にした、アメリカン・ドリームの作品ですね。『チャンピオン』の主人公は、移民ではなく韓国に住んでいる男が主人公ですが、ドン底の人生の中で一生懸命生きようとした男の姿を描いた作品です。私の企画意図でもありますが、20〜30年前に大韓民国で一生懸命生きてきた人たちの姿は、次の世代の人たちが観ても感動を呼ぶのではないかと思い、主人公にしました。
Q.主人公の生き方もさることながら、ジムの会長の考え方や人となりが随所に描かれていましたが、この会長さんには実際に取材されたのでしょうか?
——私の前作『友へ チング』は、私自身の経験に基づきドラマ化したものでしたが、今回は実在の人物がモデルになっておりますので、フィクションにするということにもプレッシャーがありましたので、様々な報道関係の資料にあたり、なるべく周辺の方々とも直接会って話を聞くようにしました。この作品に出てくるキム館長も実在の人物で、取材させてもらいました。この方はトレイナー、セコンドである以前に、父であり、恩師のような存在だったと聞いています。
Q.ユ・オソンさんと2作目ですが、彼の魅力をお聞かせください。
——前作で彼の魅力を充分に感じたのですが、なんと言ってもその集中力ですね。本当にずば抜けた集中力を持った俳優です。そして、商業的な波に乗らずに自己管理をしっかりした俳優でも有ります。私は前作の撮影後に、詳しくは決まってないが次回作は、自分が17歳の頃で記憶に残っているボクシング選手を題材にしたいと話しました。勿論、シナリオも何も無い状態だったのですが、ラストシーンは空っぽのジムにキムの息子が現れるものを考えていると話したところ、彼はどんな役でもいいから出演すると言ってくれました。それから、6ヶ月間にわたって、ボクシングの選手の身体つくりをしてくれたのです。
Q.クライマックスのタイトル・マッチは、スケール感のある場面になってますが、撮影に関してお聞かせください。
——ラスベガスでの試合のシーンは、リングの周辺に座ってる方は全てエキストラですが、スタジアムの客席に座ってる人たちはCGIで合成したものです。実際のエキストラの数は800人くらいで、撮影期間は4日間でした。カメラは2台回してましたが、とても陽射しが強い土地なので、光の状況を一定にするため1日4時間くらいしか撮れません。しかも、1日の費用が4〜5億ウォン(約4〜5千万円)くらいかかるので経済的にもかなり大変でしたね。
Q.主人公のボクサーが韓国ではどの程度有名な方なのでしょうか?また、80年代の今と違う韓国の姿がよく出ていましたが、時代性を出すためにされた工夫についてお聞かせください。
——これは80年代を時代背景にしたストーリーでしたので、その時代を美術で再現するのはとても大変な作業でした。また美術だけではなく、衣装、ヘアスタイル、メイクと全て当時のものを再現しなくてはならなかったので、本当にスタッフ皆が苦労して作った作品です。
キム・ドゥック選手は、亡くなってしまった試合以前には、それ程有名な俳優ではありませんでした。私もアメリカでの試合を観るまでは知らなかったですし、勝てるわけも無い試合の為にアメリカに行くなんて、精々お金をもらってくるくらいだろうと思っていたら、実際は14ラウンドまで行って倒れたと。このボクサーは自ら死を求めて行ったのではないかと、試合を観ながら思ったりもしました。当時のマスコミは、ハングリー・ボクサーとしての精神をその時には持て囃したのですが、1年くらい経つと誰も話題にしなくなりました。さらに時間が過ぎて、どうも彼が私に「自分の映画を撮ってくれ」と言っているような、その任務を与えられたような気がして映画化しようと思い立ったわけですが、私や他の人たちの記憶の中には非常に強烈な印象を残したボクサーです。
なお、『チャンピオン』は日本でも2003年にロードショー公開予定!
(宮田晴夫)