第3回東京フィルメックス・コンペティションの審査委員長を務めるのは韓国映画界の大スター、アン・ソンギ氏。80年代の韓国映画ニューウェーブのすばらしい作品群に必ずといってほど出演していたアン・ソンギ。韓国映画界を今も昔も俳優として常に支えてきたその彼が、朝日ホール入り口「スクエア」でのトークショーに登場。
昨今の韓国映画人気も手伝い、場内は大勢の立ち見が出るほどの熱気に包まれた。近年目ざましい勢いを見せる韓国映画界の活力の理由を、韓国映画界の歴史に加え、各時代を現場で体感してきた経験も交え、1時間という時間が信じられない充実した内容となった。

−−−−まず、80年代における韓国映画のニューウェーブについて。
Q:この時期にすばらしい監督が現れた背景は?
朝鮮戦争が終わった50年代半ばから映画は作られ始めました。そこでは素晴らしい作品がありました。当時はテレビもなく、映画がエンターテイメントの代表として君臨していた時期です。ですが、1970年代に入ると軍事政権の下で表現の自由が厳しく制限されました。そこで生まれた女性が主人公におかれるホステス映画というジャンルによって映画人に対するゆがんだ見方を生むことになってしまいました。ですが、1979年にパクチョンヒ大統領が暗殺され、自由な表現が少しずつ認められるようになり状況は変わります。韓国映画界は『風邪吹く良き日』(80)によって新時代を迎えたのです。
80年代にデビューした監督は社会的・歴史的観点を持って映画を作りました。
1988年のオリンピックを経、金泳三大統領の文民政府になってまた検閲も緩くなり、現在金大中政権の下で表現の自由の幅はさらに広がりました。これにより往年の映画人たちは解放され、型にはまらない若い人が映画を撮り始め、いい作品が生まれるようになりました。最近は堰を切ったようにたくさんの映画が生まれており、映画界は大変エネルギッシュな状況にあります。

−−−−現代の韓国映画について。
Q:若手が次々とデビューする反面、80年代から活躍する監督の活躍の場はどうなっているのでしょうか?
イ・ジャンホは90年代に一本作って以来は新しい作品はありません。ペ・チャンホ監督は少しづつではあるが取りつづけている。90年代に入り、映画の資金は零細になりました。劇場の上がりから資金を作り、製作に回すといった状態でした。しかし衛星放送や映画専門チャンネルができました。これにより大企業が製作総指揮を行うようになりましたが、製作会社にたいして様々な注文を行うようになった結果、監督の自由が奪われ、例えばペ・チャンホ監督のシナリオに干渉するようになるなどという状況が起こり、自分で製作費を集めて作らざるを得なくなりました。
また、ハリウッド商業映画をみて育った若い観客の望むものに応えきれていないともいえます。90年代以前のベテランの監督たちはシリアスなテーマやヒューマニティーに溢れた作品、叙情的な趣向の表現をします。このようなシリアスな映画に耐えられる映画狂はまだ韓国には少ないのではないでしょうか。

Q:どうして韓国映画が今元気なのか?
なによりもまず韓国国民が韓国映画のことを好きであるということ。いい作品さえ作れば、観客が必ず見てくれるという確信がありますので、作り手もさらに熱意が沸くということが言えます。さらに、たくさんの素晴らしい人材が映画業界で活躍していることも挙げられます。

−−−−若手監督について。
Q:お気に入りの監督は?
チャン・ソヌ監督の『成功時代』、イ・ミョンセ監督の『ギャグマン』、クァク・チギュン監督の『冬の旅人』は個人的にとても好きです。特に、イ・ミョンセ監督はお気に入りです。

2000年東京フィルメックス・オープニング作品『武士』、2002年東京フィルメックス前夜祭上映作品『黒水仙』と、2作の公開が控える。
(Yuko Ozawa)