12月1日夕方からの上映でも大盛況だった黒沢清監督の新作『アカルイミライ』だが、本作の対となるもう1本の作品も、1日のレイト上映ながら好評のうちに上映された。『曖昧な未来、黒沢清』は、『アカルイミライ』の製作現場に密着して撮られたメイキング映像と、スタッフ・キャストの証言及びその映像を見てインタビューに答える黒沢清督の姿で構成された作品で、所謂メイキング・フィルムのハードルを軽々と飛び越え、黒沢監督の作家性にも迫る作品に仕上がっている。
 本作の監督・撮影・編集をつとめた藤井謙二郎監督は、記録映画製作会社のディレクター出身で、昨年写真家の森山大道を追ったドキュメンタリー『≒森山大道』で、劇場用作品の監督デビューを果たし、本作が2作目となる。1日の上映終了後には、藤井監督が登壇してティーチ・インが行われた。
 この作品の依頼を受けたのは、『アカルイミライ』の撮影が始まる1週間前。そして3週間にわたる本体の撮影に密着するというハードなスケジュールで、撮影前に他のメイキング・フィルムや題材である黒沢監督について調べ、研究するような余裕は全くなかったそうだ。また、ドキュメンタリーのディレクターをしていたと言っても、所謂メイキング・ビデオの類はほとんど見たことがなかったという。「ただ、依頼を受けた際にあまり普通ではないメイキングをと言われたので、普通も何もよく知らないけれど思ったように撮ればいいかって。撮影中は、構成も何も無く、兎に角現場を映像に押さえるだけで精一杯でしたね。実際、黒沢監督にはカメラを向けると、逃げられちゃいますから撮ってるのを気づかれないようにと(笑)」。作中で黒沢監督の「ドキュメンタリーとフィクションの境目はない」という証言が2度出てくるが、映画ファンにとって眼から鱗が取れるような言葉であると同時に、本作のキーともなっている。ドキュメンタリー出身の藤井監督は、物事をリアルに撮るということにとらわれるタイプだったそうだが、本作では所謂ドキュメンタリー作品ではやらないような、眼のドアップを採用してみたりといった撮影技巧を凝らし、リアルを切り取った映像とその素材をフィクショナルに料理する編集との狭間で作家・黒沢清の姿をとらえていく姿勢が、実に興味深く見るものの知的好奇心を刺激するものになっている。また、自身の作家性について問われると「誰でも撮れ、フィルムとは異なりペラペラな映像になるDV映像を採用していくことでしょうか。ペラペラな映像が積み重なった時に、そこから見えてくるものに魅力を感じます」と答えた。
 なお、藤井監督は撮影に密着し、その映像や黒沢監督のコメント等を繰り返し見聞きしてきた『アカルイミライ』という作品に関しては、冷静に語ることはできないと前置きしつつ、自分が予想していた作品よりはるかに面白かったそうだ。一方、黒沢監督は『曖昧な未来、黒沢清』をどう見たのか?「いや、ご本人は未だ見てないらしいですよ。奥さんは見られたらしいですが、本編の最後の方で繰り返し話されていたように、本当にご自分の姿を見るのは好きじゃないみたいです。いつかは見てくれるでしょうけど、未だ時期尚早だと(笑)」(藤井監督)。
 なお、『曖昧な未来、黒沢清』は、『アカルイミライ』とほぼ同時期の、2003年2月シネ・アミューズにてレイトロードショー公開予定!両者はそれぞれを補いあって、面白さを増幅させあう作品ではあるけれど、本作は独立した作品としても充分に満足の行くエンターテイメントでもある。
(宮田晴夫)

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曖昧な未来、黒沢清