「母が子を思う気持ち、子が母を思う気持ち、それはどんな文化でもどんな国でも共通した普遍的な感情だと思うのです」(フィリップ・ノイス監督)。1930年代、アボリジニの子供に白人教育を受けさせるため、オーストラリアでは隔離政策がとられていた。「裸足の1500マイル」は当時、お母さんにあいたい、その思いだけで1500マイル歩いた少女たちの物語である。東京国際映画祭会期中の10月27日、Bunkamuraで行われた記者会見にはフィリップ・ノイス監督、プロデューサーのディビッド・エリフさん、本作の原作者であり、主人公の娘であるドリス・ピルキングストンさんが出席。ドリスさんはアボリジニー国旗と同様の赤と薄い黄色のドレスに身を包み、「私はアボリジニであることに誇りを感じます。今日も敢えてこの色を選びました」と話した。物語が当時の政策を追求するものだけに会場からは北朝鮮の拉致問題、バリ島のテロ事件など時事的な質問が相次いだ。

※「裸足の1500マイル」は2003年新春シネスイッチ銀座ほかで全国順次ロードショー!!

 ーーノイス監督は「今そこにある危機」など数々のハリウッド作品を経て、母国オーストラリアに戻ってこの作品を撮りました。心境の変化があったのでしょうか。
ノイス監督 「裸足の1500マイル」は3人の小さな女の子の話です。アボリジニーの彼女たちは当時の白人・同化政策のため、家族から引き離され、収容所に入れられました。けれど、彼女たちは母親のもとに歩いて帰ろうとします。それは、自分のアイデンティティを取り戻すための旅ともいえます。
 私はこの10年間、アメリカでビルを爆破したり、スパイ映画を作ったり、とても楽しい体験をしてきました。けれど、10年間暮らして半分はアメリカ人、もう半分はオーストラリア人と中途半端な位置づけにいるような気もしました。映画の彼女たち同様、私もそろそろアイデンティティを取り戻しに母国で映画を撮るべき時期なのではと思ったのです。

 −−原作のドリスさんに。北朝鮮の日本人拉致問題をご存知でしょうか。
ドリス 日本に来てテレビで見て事件を知りました。私自身、彼らと共通した体験があります。私は3才半で両親から引き離され、収容所に入れられました。そこは今でいう第三世界よりもさらに悲惨な場所でした。連れ去られるという恐怖、私はそれを知っています。そして、今回肉親と再会した日本人を見ましたが、あの感動を私も24歳の時に経験しています。その年で引き離された両親とやっと再会できたのです。連れ去られる、そして再会、この2つの感情は私にもよくわかります。

 ーー私はインドネシアの記者です。先ごろ、バリのテロ事件に関し、オーストラリアの首相がインドネシアに行くなという発言をしていました。その件に関しどう思いますか。
ノイス監督 現首相は人種間問題に火をつけるために選ばれたような人です。ある意味、テロ問題も彼の政策によるところが大きいのではないか。オーストラリアとインドネシアには友好関係がずっとあった。逆に首相こそがインドネシアを訪れるべきだと思いますね。
ディビットP 彼は国を分割しようとしているんだ。不誠実な人間だと思うよ。
ドリス あの事件ではオーストラリア人以上にインドネシアの方々がたくさん亡くなられたと思います。現首相はそうですね、自分の国でもアボリジニのいうことには耳を貸さないという人間です。 

 −−音楽にピーター・ガブリエルを起用していますが、その理由と実際の流れを教えてください。
ノイス監督 アボリジニとヨーロッパ、違う文化を融合するような音楽がほしかったのですがガブリエルはこれにうってつけでした。そして、彼は天才ですからね。
 実際の仕上げまでは10ヶ月間かかりました。その間、私達が会ったのは初めの打ち合わせの一回だけ。あとはMPでやりとりをしました。
 初めに会ったときは撮影を終えたばかりでまだ映像が完成していませんでした。ですから、ストーリーを話し、大地そのものから生まれる音楽がほしいと説明しました。
 その後、自然の音ーードリスのお母さんが実際に聞いただろう風の音、雨の音、鳥の声を入れてーーをMPでゲイブリエルに送りました。それぞれのシーン、ドラマや登場人物の感情についてメモしたものも一緒に送りました。
 それをもとに彼はコンピューターで、自然の音を楽器にオーケストラを仕上げました。私は受け取った音を映像に当て込み、彼に戻しました。Eメールでのやりとり、その繰り返しであの音楽ができたともいえるでしょう。