希望を胸にトルコ西部の町からイスタンブールにやって来た青年メフメット。彼の恋人のドイツ生まれのトルコ人アルズ。クルド人と間違えられたメフメットは、言われない差別や暴行を受ける。クルド人のベルザンに助けられたメフメットは彼と友情で結ばれるが、抗議デモに参加したベルザンは殺されてしまう。アルズの協力で遺体を引き取ったメフメットは、ベルザンの故郷のゾルドゥチまで、彼の遺体を運ぶ旅に出る。そこで彼の見たものは・・。
クルド人問題を扱った故の困難を乗り越えた1999年のベルリン国際映画祭での上映から、世界各地で上映され、多くの賞賛と話題を提供してきた映画が、日本で公開される事になりました。ドキュメンタリータッチの飾らない映像が美しく、ともすれば重くなりがちな内容を、後味さわやかに演出してみせた手腕が冴えるのは「この映画は、ニュースからヒントを得た」と語るトルコの新進女流監督のイエスィム・ウスタオウル監督。

来日イベントは『クルド人、その生活、友情と苦難』と題して、クルド人始め難民の支援活動を行っている特定非営利活動団体(NPO)「ピース ウィンズ・ジャパン」東京事務局で開催されました。東ティモールとグァテマラのコーヒーとお菓子付のイベントは、日本ではあまり知る事が出来ないトルコでの映画製作やクルド人問題の現状、監督の深い思いや、実際にクルド人難民キャンプで支援を行う方々の体験等を聞く事が出来ました。ホテルでの来日イベントと違い、語り手と聞き手が身近な雰囲気の中だからこそ、語られる話題も多かったようでした。

クルド人と見なされた家の扉に赤いバッテンが描かれてしまう場面が、ナチのユダヤ人狩のように衝撃的ですが「トルコの一般社会がクルドの問題に気がついていない」のが現状。監督自身がイスタンブールからウルファまでクルド人の友人と旅をし、スラム街の色々な人に取材、長い時間をかけて結ばれた信頼関係が作り上げた映画といっても良いようです。出演者もクルド文化センターの小劇場で演技をしていた人達。オーデションでは何よりも「この映画に出たいという強い気持ちを感じた人を選んだ」と監督。
一般の劇場での公開は難しいのにも関わらず、映画を観た人達の手紙が世界中から届くそうです。「不法コピーが出回っているのは、基本的には良くない事ですが」と前置きして「これを見て欲しい人にもらえるのはうれしい」。獄中からも手紙が来たとか。

—原題は「太陽への旅」となっていますが。

メフメットが繊細な男から強い男になっていく、旅の物語であるのです。

—トルコの一般のクルド人問題への認識は?

知識は不十分、紹介は不十分、だから映画を作りました。イスタンブールの映画祭で若い青年に「これと同じ旅をしたら同じものを見るか」と聞かれ、「見ます」と答えました。彼とは数年後にご再会しました。彼は別人のようになっていました。

—撮影について聞かせて下さい。

ロケの場所は何度も選びなおしました。役者を連れて行き、どんな所か体験させて演技にもっと気持ちがこめられるようにしました。撮影の場所は、あるがままの風景を撮るように心掛けました。登場する住民は実際の現地の住民です。トルコ語を話せない人も多いので、クルド語を習いました。足掛け3年の製作期間となりました。完成したら映画自身が世界中を旅する事になりました。

—メフメットはゲリラになるのでしょうか?

それは見た人の感じたままで。

—クルド人への取り締まり、イランやイラクよりトルコは甘いと聞きましたが?

かつてよりは良くなりました。クルド語を使う事も認められています。ただ、村を失った人は職がないし、同化する事で文化が失われる懸念があります。今後の事はまだわかりませんが。

—クルド人にとって民族と国家の関係はどうなるのが望ましいと思われますか?

皆をひとつの国にまとめる為に抑圧するのではなく、システムは透明であるべき。(9.11をふまえて)世界中の人が考えるべき事だと思います。

—トルコ国内での反応はいかがでしょうか?

撮影を止められた事もありました。若い学生から良い反響が来ました。一部には無視されました。批評家やメディアには無視されました。
この映画をより多くの人に見て欲しい、そしてメフメットやベルザンに逢って欲しいと思います。

配給:若松プロダクション・シネマスコーレ
配給協力:グアバ・グアポ

今秋、BOX東中野にてロードショー。全国順次ロードショー。

□作品紹介
□特定非営利活動団体「ピース ウィンズ・ジャパン」
「ピース ウィンズ・ジャパン」問い合わせ先 0120-252-176
必要な人に必要な支援を〜