1999年の東京国際映画祭でグランプリをはじめトリプル受賞の快挙を成し遂げたチャン・ツォーチ監督。その待望の新作『美麗時光』が、NHKアジア・フィルム・フェスティバルで上映された。青年期の入り口に差し掛かったふたり、アウェイとアジェの青春のヒトコマを描いている。ガンの末期にある双子の姉を気にかけながら、アウェイはアジェとヤクザの世界に足を踏み入れ、若さゆえの落とし穴に嵌まってしまう。
 12月16日の上映で行われたティーチインでは、アウェイ役のファン・チィウェイ(写真上左)、アジェ役のガオ・モンジェ(写真上右)のふたりも同席。ファン・チィウェイは、監督の前作『最愛の夏』でヒロインのボーイフレンド役を演じているが、じつはガオ・モンジェも同作に出演しており、3人の付き合いは決して短くはない。時折トボけた答えで会場を煙に巻く監督を指して「監督はジョークが好き」と声を揃えて言うアウェイとアジェ。時折笑いも見うけられたティーチインだった。(2001/12/16)

Q.映画のタイトルに時間という言葉が入っています。監督は、時間の問題をどのようにとらえてらっしゃいますか?
チャン
「時間の問題は僕にとって、造詣が深すぎる問いです。なぜこのタイトルかというと、前作の中国語タイトルが『黒暗之光』といって“暗闇の中の光”という意味でした。今回は、そこまで暗い映画にはしないようにしようと思ったので、“美しい時と光”という意味でこのタイトルになりました。僕は海で泳いだり深く潜るということにすごく憧れを抱いていて、それを、この左右にいるふたりが実現してくれています」
Q.アウェイを演じたファン・チィウェイ(以下アウェイ)さんにうかがいます。今回と前作を比べて、監督の演出のし方とか仕事の進め方に変化はありましたか?
アウェイ「監督の演技指導とか撮影方法は変わっていません」
Q.アジェを演じられたガオ・モンジェ(以下アジェ)さんにお聞きしたいんですが、手品の練習は誰かについて練習されたのでしょうか?
アジェ「手品もいろいろありますが、ある手品は友達から教わりました。あるものに関しては、短期間でしたがプロの方に教わりました。僕は遊んだだけという感じです」
Q.監督にうかがいます。前作では視覚障害者を扱って、今回は病人を扱っていますね。チャン監督としては障害者を出すことに何か意味を持っているのですか?
チャン「まず、僕は彼らにシンボリックな意味は持っていません。僕は、大部分の人は何かハンデを背負って生きているのではないかと思っていて、それはそれほど珍しいことだとは考えていません。僕は、障害を持っている彼らにはとても生命力があると思います。生きるために一生懸命という点で、力強さを感じます。もうひとつ理由があるとすると、自分の健康状態が作品に反映しているのかもしれない。僕は足が痛くなければ、手が痛くなるし、手が痛くなくなれば、今度は頭が痛くなります(笑)」
Q.彼らの父親は働いてなくてぶらぶらしていると文句を言われていました。家庭の財政は誰が支えていたんですか? アウェイがリスキーな仕事に手を出したのは、ある程度家族にラクをさせてやろうという気があったのですか?
チャン「アウェイは、家族ではなくて自分の経済問題を解決するために働いています。もうひとつの問題——自分でもこれは不思議だと思うんですけど、台湾ではちゃんとした定職を持たなくてもちゃんと生活している人々がいます。そういう人たちは土地を持っていたりするのかもしれません。この映画の中では立退き料がそれに値するのではないでしょうか。また、ご覧になったように、ふたりの父親は外でお金を稼ぐのにひじょうに努力しています。その手段はそれはバクチです(笑)」
Q.アウェイとアジェの家では台湾語と北京語というふうに言葉がぜんぜん違うように思えたんですけど、そのあたりの事情を聞かせてください。
チャン「家庭環境が彼らの言葉に関係しています。まず、アジェのお父さんは国民党と一緒に大陸から渡ってきた軍人です。アジェ本人は台湾で生まれて、外で接するのは生粋の台湾の人間ですから彼も台湾語を話します。アウェイのほうは、生粋の客家人です。客家人というのは、中国から渡ってきた外省の人数よりもかなりの人数がいます。が、このアウェイは、客家人なので客家語はできるのだけど、台湾語を話さないので外省人だと思われます。このふたりの家庭環境というのは、家庭環境の違いからくる言葉の問題の代表的なひとつの例です」
Q.監督はふたりのために脚本を書いたそうですけど、脚本は最初にふたりを見て書いて完成させたものなのか、現場で変えながら書いているのか教えてください。
チャン「最初に俳優がいて、その人を見て脚本を書きます。俳優にはそのときの気分とかコンディションがありますから、現場ではいちばん最初に書いたものとは違った修正を行っています。僕にとっていちばん難しいのは編集です。最初のコンセプトや骨組をもう1度編集の段階で再構築しなければならないので、けっこう大変です」
Q.俳優のおふたりに。撮影中の監督はどういう感じでしたか? 恐かったですか?
アウェイ「怖いことはありませんでした。撮影はとても厳しいし、真面目にやっています。でも、監督は、とてもジョークが好きです。僕は、撮影で監督と一緒にいるのは楽しかったけれど、撮影に入る前の準備期間のほうが辛かったです」
アジェ「彼の言うとおり、監督は撮影のときにはとても厳しい態度で臨んでいます。でも、すごくジョークが好きで、しかも、とてもくだらないジョークを言います。監督が厳しい態度になるときは、決まって何か問題が起こっていて、それで監督は何も言わないという感じです。本当に監督は、僕ら俳優のことをとても気遣ってくれる思いやってくれる監督です。僕らの安全をとても気遣ってくれました」
Q.危ない場面はどういうところだったのでしょうか?
アジェ「やはり危険だったのは、海の中です。本当に大海原のなかで撮らなければならないのですから。あまりに深いところまで潜らなければいけなかったので、僕は毎回鼻血が出ました。監督はいつも『いいんだよ、そこまで潜らなくても。体がいちばん大事、安全が第一なんだから』と」
チャン「僕はそんなにいい人間か!?」
Q.あの最後の海のシーンは、どこの海で撮ったのでしょうか?
アウェイ「撮影は、ランユイという所です。台湾東部、台東の近くの小さな島です。撮影は8日間くらいだったんですけど、毎日NGばかりで本当にたいへんでした」
Q.監督がNGを出したのは、いったい何が欲しかったからですか?
チャン「それはふたりに聞いて下さい。ふたりがずっとNGだったんです(笑)。まず、ひとつ、撮影の実際の状況として、カメラマンが本当に大変でした。海底での撮影ですから、台湾にはそれだけの設備がありませんし、そういう撮影経験もあまり豊富な国ではないので指導できる人やシステムをちゃんとわかっている人がいません。手探りの中でひじょうに苦労したというのが本当のところです。潜るにあたって、地元の人達が使っている酸素ボンベを彼らに取り付けて、すぐに浮き上がってこないように20キロくらいの鉛を背負わせて、ある程度深いところまで潜ってもらって、撮影の環境が整ったところで撮影を始めていました。撮影開始までは酸素ボンベで呼吸をしているわけです。いちばん心配だったのは、呼吸のし方を間違えてしまうと肺がダメになってしまうこと。僕は本当に心配しました。もうひとつ、撮影の時期は、ものすごく波が荒かったのです。OKカットが出なくても見なかったふりをして撮影を続けました。繰り返していくうちに彼らふたりもこの撮影が本当に大事なものなのだなということを悟ったと思います」

(みくに杏子)

□第4回NHKアジア・フィルム・フェスティバル
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