休憩を挟みシンポジウムは第二部のパネル・ディスカッションへ。こちらでは、仏文学者の野崎歓氏が司会進行により、今回上映される新作の4監督がそれぞれの国での映画を巡る状況や自作についてを語り、またゲストとして参加していた大林宣彦監督らとの間で質疑が交された。
 まず大林監督が、4作品を見て抱いた感慨を語る。「この4人が撮った作品が、僕は大好きです。大好きと言うより、尊敬しまた皆さんに嫉妬も感じています。そして今回の体験で面白いのは、比較しても順位がつけられないということ。それぞれに全部好きなんです。このアジアの仲間4人の作品は、自分自身を語り、伝え誰かと対話するために作られた映画ですから、ハリウッドという商業主義という制度から開放されている。ここにアジア映画を見る一つの楽しさがあると思います」。それでもこれらの全く個性的で較べることができない4作品には、共通な喜びがあるという。それは、人の願い、夢見ること、痛み…つまり人の心が穏やかさに向おうという気持ちに関してだ。公私ともにパートナーである奥さんのことを話しながら、やはりパートナーとして監督たちを支えている奥さんについて紹介する大林監督。そして、先頃米国で起きた同発テロによる映像を見た時の恐怖。あのハリウッド大作の特撮映像のようなニュースを見て、それは現実が虚構に追いついたのではなく、もしかしたら自分たちがこの映像を現実化させてしまったのではないかという恐怖だそうだ。破壊と殺戮を娯楽にしてきたことが、あの事件を生んだのではないかと。そして、映画の中には正義ではなく自然に寄り添った正気を描くことで、そうした行き過ぎを正すことが出来ることを信じて作られた作品がこの4本だと。大林監督により誠実な言葉が重ねられたのに続き、4監督自身の声が順番に語られたので紹介しよう。

インドネシア映画『囁く砂』ナン・アフナス監督
——この映画が作られるまでには、とても長い年月がかかりました。アイデアは8年前に生まれましたが、インドネシアの政治的・経済的恐慌の時代と並行していたため、NHKとで製作がスタートするまでに何度も止まりました。インドネシアの映画界の状況は、この10年の間失速を続けていくわけですが、10年前には年間120本以上の作品が作られていたのが、私が映画を撮った時は年間2本程度です。インドネシアでは、テレビが栄え映画産業としては全く疲弊した状態の困難の中、残念ながら国による政策は無く、人材の要請もなかなか出来ない中で映画を作りました。そして今、インドネシアの中で少しづつ変わろうとするものがあります。テレビ局が映画に投資をしようという空気が生まれ、技術的にもデジタルによる映画作りが進んできている。残念なことにこの10年の間、インドネシアの人々は自分達の民族の顔を映画の中で見る事ができないままが続いてましたが、今は変わろうとしてるのです。そして同時に民族が持っている独特の感性というものは、インドネシアの人達は一般的な感性、例えば自分のものを知らずにもっと普遍的なことを信じているようなところがあります。

イラン映画『グレーマンズ・ジャーニー』アミール・シャハブ・ラザヴィアン監督
——今イランでは年間60本くらいの作品が作られていまして、その20〜50%の作品は政府の援助を受けて製作している。また政府は、劇場で公開される他国の作品に規制を化すなどで、イラン映画をサポートしています。私もこれから自分の国の映画を文化的なものにし、文化を守りながら映画を作りたいと思います。自分の映画作りは、我々が人生の中で失っている一瞬を探し回っている気がします。自分の人生の中で出会ったのだが、今はもう会えないそういう方達を探してみたいんです。もし、神が人間を同じ性格、同じ顔に創るのだったらとても簡単なことだったでしょう。しかし、一人一人に個性を与え作ってるんです。そして老人には、一人一人強い個性が会って、それは彼らの人生の中で失われたものが変わったものだと思います。我々は皆、別々の国に住み違う文化を持っていても、同じ気持ちを持っています。それを通じて映画を撮れば、映画は何処の国へいっても通じるでしょう。

カザフスタン映画『ザ・ロード』ダルジャン・オミルバエフ監督
——私はカザフスタンという国からきました。明日12月16日に独立十周年を迎える国です。ソ連邦崩壊、ペレストレイカまでは長編劇映画が年に4〜6本製作されていました。この資金は全て政府によるものです。社会主義が去り、また民間からの投資が整備されていない現在は、せいぜい年間1・2本しか製作されていません。そのうち1本は国家予算により作られている。これは我が国から、映画産業が完全に失われてしまうことを避けるための政策でしょう。その他の1本が外国からの投資によるものです。ペレストレイカ以前、カザフでは多様な作品が上映されていていましたが、現在は9割以上がハリウッド映画です。現在我々が抱える問題は配給システムが確立されていないということで、カザフの映画はカザフ国内で見られず、外国の映画祭で見ることができるという状況で、これが問題です。悪い作品を怖れる必要はないでしょう。しかし、製作されたなら一度は上映されるというシステムが確立されればと、私は強く思っています。また、観客も素晴らしい映画を選択できればいいのですが、現在カザフでイランや日本の映画が紹介されることはありません。こういう部分でも偏っていると思うのです。独裁という概念が、政治から少し離れて、情報や文化という面に移行してきているように思えます。こうした独裁に我々が勝利するには、映画文化の水準をあげるしかありません。作る方だけではなく、見る方でも上げていく必要があるでしょう。

台湾映画『美麗時光』チャン・ツォーチ監督
——先の御三方の話をうかがいますと、台湾での状況は未だましなほうかと思います。現在99.9999%の台湾映画は、政府の信認を受けて作られています。そして、0.0001%に入るのが私の作品かもしれません。私個人は台湾の映画業界では新米で、所謂台湾ニューウェーヴの最後の方にあたる時期に業界に入りました。その頃には、様々なジャンルの作品も作られていたのが、今ではほとんど消えてしまいました。映画を作りたいという若い人たちは増えていますが、その機会はとても少ないです。ただ、いま僕の現状への考えとしては、これから台湾映画は量的に増えていくと思います。しかし、業界の基礎が固まっていず、重要なパートがごく一部の人達で独占されてしまっている傾向があります。台湾の政府は、映画を文化としてよりも娯楽として見なしていると思います。それが悪い、いいではなくて、ここまで作品が減ってくると保護しようということで、補助金が降りています。それで、よい台湾映画は増えもしなければ減りもしないという現状で推移しています。ただ、才能の有る若者が非常に低予算ですが台湾国内で、撮りたいものを撮ろうとする動きを見る事があり、台湾映画の将来に希望をもっています。

□第4回NHKアジア・フィルム・フェスティバル
http://www.nhk-p.co.jp/event/asia/asia.html
(宮田晴夫)