第4回NHKアジア・フィルム・フェスティバルが12月16日から8日間開催され、今年もNHKがアジア諸国の4人の映画監督と共同制作した新作を含む多彩な18作品が、東京国際フォーラム・ホールDにてハイビジョンの大画面で連続上映される。
 作品上映に先立つ15日には、「アジア映画の今」と題してのシンポジウムが開催された。シンポジウムは、第一回よりNHKアジア・フィルム・フェスティバルのアドバイザーを務めている映画評論家佐藤忠男氏の基調講演と、今回上映される新作4本の監督と大林宣彦監督らによるパネルディスカッションとの二部構成で、それぞれに濃密な内容を反映して当初の予定を1時間あまりも超過する熱のこもったシンポジウムとなった。
 第一部の基調講演は、アジア映画に造詣の深い佐藤忠男氏により、アジア映画の現状に関して各国の実情を交えながら語られた。アジア各国で製作される作品の評価が高まり、様々な作品が劇場や映画祭で紹介される現在だが、産業的には多くの国では危機的な状況にあるという。アジア各国は一般的に1960年代くらいが映画の黄金時代だったのだが、現在各国で製作される映画の本数は、桁違いなまでに激減している。インドや韓国、フィリピンのような特殊な例外もあるが、TV、ビデオの急成長や、アメリカ映画の圧迫などでアジアの映画産業は脆弱化している。それでは、どうすべきか。昨今の社会状況を見てもアフガニスタンのような国は、自分達がこういういい人間であることを映画で見せることはできず、何かことが起こった時のみ冷静にジロジロと他国から見られる。他方、自信に満ちた映像を世界中に見せるアメリカ映画があり、そのイメージの落差は絶対に不公平である。だからこそ、映画はどこの国でも作られるべきだし、それがどこの国でも観られるべきだと佐藤氏は語る。そうしたことが、少しづつでもなされるようになって来た現在だというのに、産業としては危機的な状況なのだ。
 それでは、その危機的状況をどうすればいいのか。韓国のように政策的に映画を保護するというのも一つの手だ。台湾、ベトナムなどが保護政策を行っている。また、保護政策が無い国では、フランス・日本などからの自由な投資というものも増えている。それは明らかな商売として行われているものもあれば、そうでないものもある。NHKのこの試みは、商売としては決して儲かるものではないだろうが、製作力が小さい国などに新作を作れるように援助するということは、文化的に非常に意味があることなのだ。
 今や映画におけるグローバリゼーションは、アメリカ映画によって達成されつつある。世界がある共通の文化を持たねばならないという状況自体は、必要なものかも知れないと語る佐藤氏だが、“物を壊すことは楽しい”というイデオロギーに裏打ちされたアメリカ映画によるグローバリゼーションには、強く異を唱える。映画で最も大事なものは、仕掛けではなく映っている顔なのだという、シンプル故に忘れられがちな真理だ。「アジア映画には芸術的に優れているから、面白いからなどの要素も勿論あるし、アメリカ映画の派手な仕掛けを楽しむというのも結構だが、映画で一番欲しいのは“人間の顔”なんです。顔を映しているというかぎり、アメリカ映画もモンゴル映画もインド映画も皆平等、というかいい顔をしている国の勝ちなんです。我々はそのことを忘れて、仕掛けの大きさにたぶらかされては駄目なんです。いい顔は何処にあるかという基準で見れば、世界は平等です。むしろ先進諸国の方が負けているかもしれない。そういう観点からすると、いい映画を観ようという気持ちからアジアの、世界中の映画を平等に見比べることが出来ると思います」。講演を結んだこの言葉に、会場中からの同意の念がこめられた盛大な拍手が贈られ、第一部は幕となった。皆さんも、16日からフェスティバルで上映される作品で、素敵な人間の顔と出会ってみてはいかがだろうか。

□第4回NHKアジア・フィルム・フェスティバル
http://www.nhk-p.co.jp/event/asia/asia.html
(宮田晴夫)