『光りの墓』トークイベント第2弾はゲストに、キュレーターで東京藝術大学教授の長谷川祐子さんと、文化人類学者で東京大学教授の福島真人さんをお迎えしました。2000年頃よりアピチャッポンが参加する展覧会を多く手がけてこられた長谷川さんからのリクエストで実現した今回の初顔合わせ対談。登壇していただいた福島さんは、80〜90年代にかけて東南アジアの宗教と政治を中心に研究、その後、現地の病院の調査もおこなっていたとのこと。タイという国の背景を知る福島さんと、アピチャッポン自身をよく知る長谷川さんに、『光りの墓』の表現を読み解いていただきました。

政治の視点、芸術の視点。

これでアピチャッポン監督作『光りの墓』が腑に落ちた!

■タイの王権を描くこと

『光りの墓』は眠り病にかかった男たちと、昔々の王様のお墓を巡る物語。こうして書くと、昔話をモチーフに描くファンタジー映画と受け取られるかもしれないが、描かれているのは現代のタイである。そして、タイの現状を知って見ると180度印象が変わる映画であると福島さんは語った。

「象徴的なのは、映画館のシーン。通常、タイの映画館では予告編が終わると全員が立ち上がります。なぜかというと画面に現在のタイ国王であるラーマ9世が映しだされ、国歌が流れるからです。それが終わると本編が始まります。映画のなかでは、皆起立はしているけど、スクリーンには何も映されていませんでしたね。ブラックホールのように。そしてこのシーンは時間的にちょうど映画の真ん中に位置するシーンでもあります。始まって1時間、残りあと1時間というタイミングです。本来は真ん中にラーマ9世がドーンとでてきて太陽のように輝くはずが、何も映されないことによって王国の中心がブラックホールみたいな感じがする。僕はこのシーンを見て驚きました。これはタイの人がみたら、非常にショックを受けるようなシーンなんです」と解説。「タイでは映画館で起立しなかったら捕まります。そういう場所で、こういう表現をするなんて“これはスゴイな”と思いました。」(福島)

『光りの墓』はタイで上映することができない。タイは政治的に厳しく、アーティストにとって決して住みやすい環境ではないが、それでもアピチャッポン監督はチェンマイに住みつづけている。

「アピチャッポン自身が、この状況をサヴァイヴしていくために、眠りに入っていく、眠りの中の夢を記述していく、とインタビューで言っていたのが印象的。彼の物語の起源は、ある意味抑圧された緊張感のなかから、夢見ること、夢を記述していくことで現れてくる。そこに構造を与えていくことによって、観客と共有できる深い映画空間を作っていく。そのことが福島先生に教えていただいたポイントから非常によく見えてくるなと思いました。」(長谷川)

■アピチャッポンのリアリズム

アピチャッポン監督は医者の両親のもとに育った。そのことからしばしば作品では病院、治療器具がモチーフになり、登場人物は何らかの病にかかった患者であることが多い。

「生と死を非常にリアルなものとして捉えていて、それが一層、彼のナラティヴに力を与えているのではないかと思います。」(長谷川)

「アピチャッポンの映画はアニミズム的とよく言われていますが、アニミズム丸出しの農村に2年住んでいたことがある自身の経験から見ると、アピチャッポンはもっと醒めているのでは、と感じました。病院という現場を長いことみていて、どこかで、“人間って結局こういうものだよな”と思っている部分があるのではないかと思うんですね。あと見ていて、こんな風に描いていいのか!と思う場面がたくさんありました。例えば『ブンミおじさんの森』のお坊さんのシャワーシーン。さぼって帰ってきたお坊さんが、来ていた服を脱いでシャワーを浴び始める。タイ映画ではお坊さんは神聖なものであって常に真面目に修行している姿しか映さない。なので、シャワーシーンなどを描くのは非常にリスクが高いことです。そういうことをけろっとやってしまうドライな、即物的な感覚がすごく面白いと思いました。」(福島)

「アピチャッポン監督は夢のような描き方をする反面、非常に強くリアリティとか、モノの触覚、触感、モノの存在感をとらえる人ですよね。」(長谷川)

「映画を観る前にいろいろな人が書いた文章を読んで、これまでアピチャッポンの映画を見たことがなかったものですから、最初はアンリ・ルソー風の幻想的なものを予想していたんですが、観れば観るほどアンリ・ルソーじゃないなあという感じがしてきて、誰だろうと考えて浮かんだのが、第一次世界大戦後のドイツの新即物主義の画家、オットー・ディクスです。非常に即物的なんだけど、グロテスクに人を描く。のちにナチスに退廃芸術として迫害を受けるんですが。見ていてすぐにアピチャッポンはタイのオットー・ディクスだと思ったんですね。タイにはお坊さんの描き方としての一種のフォーマットがあるんけど、彼はそんなものは全然守らない。リアルなんですけど、タイの文法から言うとやってはいけないリアルというか。リアルに描くことでものすごく批判的な面が出る。オットー・ディクスほどグロテスクではないですけど、アピチャッポンさんには医学的なリアリズムがあって、それと彼の表現方法と、熱い政治意識みたいなものが渾然一体となって、カンヌを受賞したのかなというふうに思いました。アピチャッポンさんの映画に対して多くの人が言うアニミズムというのは、イントロではそうなんですが、掘っていくともっといろんな顔が見えてきますので、また皆さんもう1回みると雰囲気が変わって見えてくると思います。」(福島)

■アピチャッポン映画の二重性

「淡々と話し、淡々とご飯を食べ、寝たり、起きたりする。そういったやわらかな時間の作り方のなかにアピチャッポンさんの映画、時間と寄り添っていくという、ひとつの喜びもあるんですけど、その殺戮や暴力が起こらない静かさのなかで、とんでもない物語が同時に語られている。その二重性みたいなものに私たちはグイグイと惹きつけられていく。想像力をどんどん刺激されていく。その背景を知ると、もっと奥深くまで入っていけると思います。私にとってはやはり、主人公のジェンが目を見開くシーンが本当に印象的でした。イットは眠りに入ってしまう、ジェンは“私は目覚めたいの”と言って、目を見開いていますよね。それまであれだけ穏やかで物静かだったジェンの表情は、本当にあの視線、眼の全てに懸けられていくようです。それは“世界よ、覚醒せよ”という彼のひとつの暗喩的メッセージでもあったのではないかなと思います。」(長谷川)

この日のトーク終了後にはツイッターで、「不思議に思っていたことの謎が解けて、むちゃくちゃスッキリ」「福島さんの指摘に目から鱗」などの好反応の感想があがり、観客にとって映画が腑に落ちる、満足度の高いトークイベントとなった。

■2016年4月9日(土) シアター・イメージフォーラムにて開催。

イメージフォーラムでの今後のトークイベントは下記の通り。

第3弾◆4 /16(土)16:10の 回上映後 「タイの政治状況と『光りの墓』」

ナラワン・パトムワットさん(キュレーター)✕福冨渉さん(『光りの墓』タイ語字幕翻訳)

バンコクの現代美術ライブラリー「The Reading Room」キュレーターであるナラワンさんと、『光りの墓』のタイ語字幕翻訳者であり、タイ文学研究の福冨渉さんをお迎えします。タイでは公開されることのない本作について、タイ人の目線で語っていただく貴重な回です。