映画『赤い玉、』奥田瑛二×高橋伴明監督×山田五郎が、「オスになれよ。摩擦を恐るな」と草食化している若者たちに喝!(2/3)
山田「今回は大学が舞台で、学生さんが役者をやっているので、素人くさいわけですよね。それが妙なリアリティになっていて、効いているような気がしました。学生を起用する狙いは何だったんですか?」
高橋「正直言いますと、予算があります。けれども、学生が作る映画を8年間見てきて、性表現から逃げているなという気がしていまして、ならば、スタッフもキャストも含めて、性表現の場に連れていきたいという想いが強かったので、学生に募集をかけました。「こういうシーンがあるぞ」と。それがわかってて応募してきてくれと。で、面談して、親の承諾を得て欲しいと言ところまでやりました。そういう現場に彼らを引き込みたかった。
山田「すごい教育ですよね。皆さんできますか?脱ぎあるぞ。絡みあるぞと。ものすごいエロいおっさんが相手だぞと?性表現から逃げんなというお話がありましたけれど、僕なんかが今日出て行って場違いだと思ったけれど、パンフレットの対談を読んだんですが、この二人が、ゴールデン街で若者に説教しているようなことばっかり言っている。オスになれとか、今の若者は草食系だとかね。僕はどっちかっていうと団塊の世代寄りなんですけれど、これじゃ学生と噛み合わねぇぞ、誰か間に立つ人間がいないと、と思って、のこのこと出てきました。なんでオスにならなくちゃいけないんですか?
奥田「街で駅の前に腰かけて、1時間女性を眺めると、大体9割以上、100%に近い位、女性はメスなんです。明らかに。それに反して、男性は、オスがやたら少ない。つまり、自分がオスであることを忘れてしまっている。『男です』『男性です』という解釈になっちゃっている。でも女性はそんなことはとっぱらっても、100%に近い人がメスなんですね。若い子もおばあちゃんも。だから、男どもが、モテたいだとか、いい女性をものにしたいとか思っても、オスじゃないから、そりゃモテないよね?男、男性だと思っているから。ところが、オスのやつがたまにいるんだ。20人や30人に1人。そうするとそいつが、全部いいところをかっさらっちゃうわけ。その現象が世の中にある。だからオスとはなんだということをもう一度男性諸君が考え直さなくてはいけない。何がいけないんだろうと思うこと。『俺は女性とセックスするのが嫌だ』とよく言われ、『どうするんだ?』と言ったら、『自分でしちゃえばいいから』と言う。『アダルトビデオを観て全部すましちゃいます』と。『女性と交わるのはダメなのか?』と聞くと『いやーとてもとても。』という子が、100人の若者たちに聞いたら、何人いるか。5%いてもとんでもないことじゃないですか?」
山田「それはいかんことなんですか?」
奥田「いかんでしょ。」
山田「でもそれで若い男がだめだったら、奥田さんたちが若い女を持っていけていいじゃないですか。」
奥田「そういう話じゃないんですよ。そこを勘違いすると人として、ダメになるわけで。自然原理のバランスが崩れる。」
山田「少子化対策とかそういう話ですか?男がオスじゃないことの、何が腹立たしいですか?」
奥田「だって戦えないでしょ。世の中で。女性と共存していく能力がないと。以前、ある女優さんが、若い俳優も10人位いたんですが、『ここで男の匂いをするのは、奥田さんだけだ。』と言った。皆若い俳優たちは、『えっ』ってなって、その女優が今から確かめると言って、全員の男性の後ろに回って、首の後ろの匂いを嗅ぐわけ。『やっぱり奥田さんだけだ』と言って、皆『えっ』と言っていたんだけれど、そういう動物臭、フェロモン。それが魅力的な香り。それが匂わなく、汗臭く、一人暮らし臭かったら嫌われるだけだけど、本来動物が持っていなくてはいけないものを閉じ込めてしまったのかなという疑問点があったりして。オスとメスが成立しないとこれからとんでもない世の中になるなというのが一つあるんですけど。最近発見しました!最近のいわゆる25歳から35歳位にはオスが増えている。わかったのは、団塊の世代の両親から生まれた子供がそれくらいの年になってきているんですよ。一切いないと思っていたら、表に現れてきた。俳優にもそういう我々の若い頃の行動力学を持った俳優が増えている。これは映画界にとっては喜ばしいと団塊Jr.に期待している。」
山田「監督もずっと学生を相手にしていて、『オスになれ』的なことを思っていたんですか?」
高橋「具体的に一つ例を挙げると、女の子が、電車なくなったから、呑みすぎたからと、平気で男の子の家に泊まるんですね。その後どうなるのかとこっちはワクワクするんだけど、何もない。」
山田「それは僕もびっくりするところですけれどね。」
高橋「我々の時代は、そうならないと失礼というような感じがありました。」
山田「別に若者がそれでいいと言っているんならそれでいいんじゃないかと思うんですけどね。」
高橋「そのことが、責任を取れない、物事を引き受けることができない、そういうやつを作っていくんじゃないかな、それに繋がっていることじゃないかと思うんです。」
山田「それは若い人だけの責任ですか?大学に来ても、煙草吸うのが偉い大変だったりするじゃないですか。入るのもセキュリティとか、すぐコンプライアンスだとか。何もできない社会の状況だとか、本人だけの問題じゃなく、責任を取らせないような教育をしていませんか、世の中は?」
高橋「それは確かにあると思います。けども、それをなんとか打ち破っていこうとするのが若者であってほしいという想いは常にあります。」
山田「今回の作品はそういう想いもこもっている?」
高橋「見てもらったらわかるんですけれど、この映画の中に理想のオスは出てきません。だから、『情けねえな、こいつら』と自分を投影するような気持ちで、『こりゃオスになんといかんぞ』と観てほしい。ちょっと頑張っているのはこのおじさんだけじゃない、と。」
山田「そこが意外でした。主人公がオスじゃなかった。めちゃくちゃかっこ悪いおっさんなんですよ。女子高生をストーキングしていて。」
奥田「それ自体がオスなんですよ。だらしがない、年中酔っぱらっている、妄想描いている。女性を追いかけている。オスじゃないやつはそういうことをしないじゃないですか。死ぬまでそういう行動をし続けるという男なんだね。だから、赤い玉というものが本人に自覚症状が起きた時に、そのオスに対しての絶望感がどーんとくるんでしょ。その時どういう風になるかと想像するんだけど、すぐに打ち消して、『俺にはそういう時は来ない』と思ってまた前に進むわけですよ。それはまさにオスの現実、典型的なオスだと思う。」
山田「体力的に、もうオスじゃなくなるかもしれないけれど、なんとかオスであり続けようともがいているのはかっこ悪い姿だけれども」
奥田「かっこ悪い姿なんだけど、“枯れることを拒絶する男。”それが僕の理想です。」
山田「若者的に言うと、『枯れたらどうですか?』と思うんですよ。いつまでもなんでそんな若くいたいんですか、団塊の世代の人たちは?と」
奥田「それはしょうがないんですよ、モテるから。よく言われるんですよ。『かっこいいですよね。どうしてですか?』と。面倒くさいから『生まれつきだから』とずっと言ってきたんですけれど、自分としては、それが終わることを許さない。死ぬ時が本当に枯れる時だってね。そうじゃないと俳優はやってられないし、監督もやっていられないというのが自分の中であって、どんどんそういう気持ちが逆に増える一方。」