11月もロングラン上映を続ける、演劇史に名を残す偉大な演出家、ピーター・ブルックの稽古場を初めて映像化したドキュメンタリー映画『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』は、大ヒット御礼を記念し、劇作家・演出家・俳優の岩松了さん、俳優の光石研さんをお迎えしたスペシャルトークショーを開催しました。

開場前から待機列が出来るほどの期待感に包まれた今回のトークショーでは、芝居を始めた時に先生にピーター・ブルック著「なにもない空間」を渡されたという演出家の岩松了さんと、現在公演中の岩松了さん演出の舞台「水の戯れ」に出演している俳優の光石研さんをお迎えし開始されました。

岩松さんは、本作を観た感想を尋ねられると「稽古風景で、しかも映像で撮っているから、すごい距離がある。映像は基本的に過去じゃないので、時間的にも距離がある。
この映画を見ながら自分の稽古を客観的に見るとこんな感じかなと思った。」と語り、さらに「芝居の稽古は客観的にみると“何この人たち”と感じると思う”。
ピーター・ブルック自身も映画の冒頭で「(撮られることに対して)違和感がある」と言っている。
自分の稽古場にも関係ない人が見に来たらそう思うのかなと思いながら観ました」、と演出家ならではの視点から感想を語っていただいた。

続いて、ピーター・ブルックが映画の中で語っている「役者とは非日常を日常にする作業だ」という言葉から、舞台の稽古という非日常をどのように日常にしていっているかと問われた光石研さんは次のように語りました。

「(舞台は)映画のセットと同じように演技をしてみると、お客さんがいることで全然違う。
映画などの映像の場合は演じる際に見られているという意識がない。
舞台の場合は、まず皆が観るという大前提がある。
お客さんが観に来ていることを意識しつつも、舞台を360度使えるような意識で演じている」。

次に岩松さんは演出家から見たピーター・ブルックの稽古のアプローチについて問われると、「芝居で役者のやるべきことはなんだろうと考えた時に、なにか表現することを方法論的に考えるという考え方もあれば、一方で“なにもしない”という考え方もある。
なにもしないというのは、リアクションの問題だと思う。
表現するというより、リアクションすると表現した方がいい。
ピーター・ブルックはリアクションというよりは、何らかの仮想されたものに対してのアクションを考えてるような気がする」。と語りました。

そして、シェイクスピアとチェーホフを例に挙げ、「ピーターはよくシェイクスピアを引き合いに出しますが、シェイクスピアの芝居は人を殺そうとする人は「私は人を殺す」というセリフで説明する。
一方でチェーホフは、人はホントのことは言わないという前提に立っている。
それはひとは見られるからだという立場に立っており、見られているから「殺す」とは言わない」。

「ピーター・ブルックにすごく共感するのは、「はじめに戻そう」としていること。
最初の一歩目はどうなの、というところに注目してやっている。
二十歳ぐらいの時に「なにもない空間」を読んで、未だに覚えているのは「主婦が料理をするレシピはすごくドラマチックなものなんだ」という表現。
我々が生活をしている上で、なにを大切にするべきか、疎かににしてはいけないこと、演劇の始まりはどこなのかということ。
演劇そのものは無条件にあるものではなく、生活の中で抽出したものだと気づかせてくれる」。

最後にピーター・ブルックも語る演じていて“なにかが降りてきた”瞬間について、「5年ぶりの舞台(水の戯れ)」で、まだ3日しかやっておらず、まだなにも降りてきていない。
ただ夢中にやっている。ただお客さんの目をぐっと感じると僕が突き動かされると感じる。
今やっている舞台のラストは僕というよりも皆さん力で感情が動くことをすごく感じている。
是非観て欲しい」と語りました。