●8月9日から8月22日まで、十三/第七藝術劇場で行われた曽根中生監督の特集上映『曽根中生 過激にして愛嬌あり』。初日『続・レズビアンの世界─愛撫─』の上映後、同名の研究本の著者・倉田剛氏と大阪日日新聞編集委員の高橋聡氏がトークに登場した。

 この企画上映はトークショーを充実させており、初日は上記の他『天使のはらわた 赤い教室』の上映後に映画評論家・映画監督の樋口尚文氏と倉田氏、映画コラムニストの睡蓮みどり氏、『赤い暴行』上映後には、PLANET+1代表の富岡邦彦氏と倉田氏と計3回のトークが行われている。8/12の『(秘)極楽紅弁天』上映後には、の濱口竜介監督(『不気味なものの肌に触れる』)と佐藤央監督(『MISSING』)という若手監督が登場し企画上映を盛り上げた。

●公開初日は当初、曽根中生監督が来館の予定となっていたが諸事情によりキャンセルとなった。台風接近の中、足を運んだ観客に倉田氏は、
「初日、ありがとうございます。一番心配だったのが淀川花火大会。中止になって曽根中生らしいなと。曽根さんからさっきも電話がありました。とにかく大阪に来たかった。申し訳ないということです」
と挨拶。

 曽根中生監督は1971年に『色暦女浮世絵師』でデビュー以来、ロマンポルノを中心に45本の作品を撮り上げてきたが、1988年の『フライング 飛翔』から消息不明となっていた。曽根監督作品はほぼ公開時に観て来たという倉田氏。とらえどころのない作風に魅了されて来たが、曽根監督の消息については「東シナ海で簀巻にされて沈められている、なんて噂ばかりだったので」あきらめていたと言う。
ワイズ出版から曽根監督の研究本を出すため執筆に没頭していた倉田氏。2011年の湯布院映画祭に曽根監督がゲスト参加いう衝撃のニュースで現地に足を運んだ。インタビューのために監督本人から連絡先を聞き、その後監督が住む大分県臼杵市に向った。
「開口一番、“映画を捨てた男に何をしに来た”と言われました。2、3発殴られるつもりだったが、結局気が付いたら8時間くらい話を聞いていました」

一方、高橋氏も曽根監督の健在が報じられ湯布院映画祭行きを考えるが事情で適わず、今回第七藝術劇場での再開を楽しみにしていたという。曽根監督との出会いは1970年代に遡る。日活ロマンポルノの初期は封切館で毎週のように女優の舞台挨拶があり、お色気新聞の取材でよく足を運んだという。何度かに一度は監督も来館する。監督と仲良くなると新宿のゴールデン街に日活の関係者が集まる飲み屋に連れて行かれ、延々映画の話をした。小沼勝監督、田中登監督、加藤彰監督といった面々の中に曽根監督もいた。
「一人だけアナーキーな感じで、“お前らと俺は違うよ”みたいなことをおっしゃる。でも話をすると物凄く人懐こい。延々話し相手になってくださって朝方まで飲んで話したことを思い出します」

●高橋氏は、トーク前に上映があった『続・レズビアンの世界─愛撫─』にカメラマン役として出演の前野霜一郎について、『曽根中生 過激にして愛嬌あり』の記述を挙げた。所謂、当時ロッキード事件の容疑者であった児玉誉士夫邸にセスナ機で突っ込んだという“児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件”である。
「曽根さんに心酔していた俳優で、よく曽根作品に出演していたが、曽根さんには前日に“たいへんなことをする”と宣言して実行したため曽根さんも大変驚いたというエピソードがありました」

「人気があるのは『天使のはらわた 赤い教室』ですが、その片鱗が『続・レズビアンの世界─愛撫─』にあります。映画の中でスクリーンに映画が映っており、その前で芝居をする。『天使のはらわた 赤い教室』のブルーフィルムのヒロインに男がのめりこんでいくというストーリーを思い出した」
と、演出の類似点を紹介。
研究本『曽根中生 過激にして愛嬌あり』には、石井隆氏の原作との比較でシナリオのラストが掲載されている。興味がある方はこちらもぜひご購読いただきたい。

●当初曽根監督は助監督として4番目、フォースという映画のタイトルロールに名前が出ないポジションだったという。倉田氏は
「日活がロマンポルノ路線になって(1971年)に監督になったという、日本の映画業界では珍しい経歴だったらしいです。田中登、今村昌平も助監督時代に名前は出ていますから」
曽根監督は当時、田中陽造監督、大和屋竺監督と共に、鈴木清順監督のシナリオグループ“具流八郎”に参加していた。
「ただ一本、日活映画の『殺しの烙印』を書いた中心は曽根中生。ハリウッドでリメイクのオファーが曽根さんに入っていたみたいです」という興味深いエピソードも紹介された。

 高橋氏は、曽根監督の色彩感覚について
「アナーキーってところも含めて清順門下だなと思ったのは、第一作の『色暦女浮世絵師』。
あの色彩感覚はそこから始まったと思う。 倉田さんの本で面白かったのは、その前にテレビの『大江戸捜査網』を撮ってるという話。脚本を頼まれて書いたらしいんだけど、プロデューサーが“こんなものわからん、それだったらお前が監督しろ”と言って急遽監督になったという。ある意味ラッキーだけど、本人曰く”この企画はわからん”と言いながら撮ったという(笑)」

「YouTubeで、曽根中生が作った大江戸捜査網のタイトルバックが観られます。あんな時代にあんな凄い分割ができたのかと」
 倉田氏も曽根監督の才気を絶賛した。

高橋氏は曽根監督作品の魅力について
「曽根さんのは乾いている。ベタベタしてないからポルノって感じがしないですね。『天使のはらわた 赤い教室』のようにクローズアップが多いが、それは情念の世界。映画自体はカラッとしていてアナーキー」
と語った。

●『曽根中生 過激にして愛嬌あり』を書き進めるにあたって、曽根作品の出演女優について調べたが、消息不明の人が多かったという。
「曽根さんが住む大分県の臼杵市で古い酒蔵を利用して“週末臼杵映画村”が6月から始まったんです。土日に開催され、曽根さんも出て、曽根ちゃんが出るならと白川和子さん、宮下順子さん、片桐夕子さんが来ました。相変わらず酒豪は宮下順子さんで。“とにかく曽根さんしつこかったし、私に惚れてたんだろう”と(笑)」

 去年の秋、東京でオーディトリウム渋谷で曽根監督特集上映「ソネ・ラビリンス」が行われた時は、
「片桐夕子さんがアメリカから来てくれて。曽根さんの映画は7本あるんですが、結婚されたのは小沼勝さんでしたね。神代辰巳さんの映画の出演は『濡れた欲情 特出し21人』一本のみ。片桐さんは“神代さんには嫌われていたから、最終的に芹明香さんの方へ比重が移って”って。“曽根ちゃんの方が随分好き”なんて仰ってました(笑)」

●高橋氏から曽根監督の小説の話が飛び出した。プロレスの専門誌『週刊ファイト』に元々小説家志望だったという曽根監督が小説を連載していた。上がりが遅い原稿を持ってよく来阪したという。
「後々曽根さんから電話があって“あの小説読みたい”と言われたけど、当時新大阪新聞が川口町にあって、地下に資料を保管していたんですが当時は綴じ込みしかなかった。洪水で浸水してパーになったんです」

●現在の曽根監督は、磁粉体製造装置を使って瓦礫処理の研究を行っているという。倉田氏は、
「311のメルトダウンで放射能の問題があって、現在曽根さんがやりたいことは瓦礫の処理。セシウムを取り除いて再利用したいということで九州大学で研究していて。その後福島に行って頑張っていたそうです」

 高橋氏は、曽根監督のバイタリティーに驚嘆。
「行方不明になってみんなあきらめていました。神代辰巳さん、田中登さんと亡くなってしまったから、曽根さんが元気でなにより嬉しかったんです。しかも全く想像も出来ない仕事に就かれて。何億という借金も返して。311にからんで今いい仕事をなさっておられると聞いて凄い人だなと思います」

 「曽根さんが住む臼杵市は江戸時代から福島と船で行き来があったそうです。曽根さんから“鎮魂祭”と言って20年かけて日本全国回りながら瓦礫のセシウムを取り除くという壮大な企画書をもらっています。映画なんてバカバカしいと思っているのかもしれないし、その辺は分からないですね」
2011年、臼杵市でのインタビューの際に曽根監督の「沢尻エリカで一本撮りたい」という興味をそそられる発言もあったとのこと。ただ、曽根監督の現在最大の関心事は瓦礫の処理であるようだ。

 高橋氏は、
「倉田さんが会いに行って“なんだ”と言ったのはその辺もあるのかも。それでもなおかつ自分は映画を撮っていた人間だという自負が残っていたから何時間も話をされたんでしょう。チャンスがあったらもう一本撮りたいと思ってらっしゃるのではと思います。沢尻エリカも結構ですけど(笑)」と今後の期待を語った。

昨年10月に『曽根中生 過激にして愛嬌あり』を出版した倉田氏。
「恐ろしい曽根中生からよく電話がかかってきます(笑)。今回は曽根さんが来られず残念で仕方ないですが、不死身の男なんでまた登場すると思います」
 今回一般作品も上映したかったが、『嗚呼!!花の応援団』はフィルムがなく断念したという。春やす子・蟹江敬三主演の『夕ぐれ族』など、まだまだ上映したい作品はたくさんあるとのこと。現在なかなか観ることができないこういった作品が、いつかスクリーンにかかることを楽しみに待ちたい。

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 8月26日、曽根中生監督が肺炎のため大分県臼杵市の病院にて76歳で死去されたというニュースが飛び込んできました。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

(Report:デューイ松田)