本日、石巻にて特別舞台挨拶イベントを実施致しました。

【イベント概要】
登壇者:八千草薫、武田鉄矢、深川栄洋監督
MC:名久井麻利(東北放送アナウンサー)

◆舞台挨拶
日時:11月8日(金) 13:00〜13:20
場所:イオンシネマ石巻 スクリーン7(362)

MC:八千草さん、今回、実在の柴田トヨさんの役を演じられるにあたって一番気を付けられたことはありましたか。

八千草さん:
柴田トヨさんの詩集とお写真を拝見して、大きくふわっとした雰囲気をもってらしてどこまで自分が近づけるかな、と思ったんです。難しかったのは、90歳以上の年を取るということでした。いくら頭で考えてもなかなか体がうまくいかなくて、どう動いていいのかと思うぐらい大変でした。少しずつ慣れてきて、トヨさんの内面に近づいていきました。生きるのもしんどいな、というトヨさんを演じるときは、いつも元気がない姿でいるのがちょっと苦しかったです。
健一から、詩を書いたらどうかと言われた時から、生きる目標ができて芝居をしていてもどんどん楽しくなっていきました。やはり人間て、何か目標をもっていきるっていくことは、大事なんだなと思いました。息子もちょっと変わっていますが(笑)、やさしいいい息子で、楽しく競演さえていただきました。

MC:つづいて武田さんにお聞きします。家族に面倒をかけどおしのいわばダメ息子・健一を演じながら、柴田トヨさんという方をどのようにとらえていらしたのでしょうか。

武田さん:
やっぱり、みなさんの心の中にいらっしゃる母親像をお持ちの方ですよね。詩集の帯にお写真がありますが、大変機嫌のいいおばあちゃん。機嫌のいいおばあちゃんというのは宝物ですね。テレビでは不機嫌な人たちがたくさん政治ののしり、総理大臣を罵倒し、行政をののしるとうようなのがかっこいいみたいに思われていますが、機嫌よくただただ笑っているおばあちゃんが、どれだけ人を励ますか、柴田トヨさんという人が、永遠に人々のおばあちゃん、お母さんに近い像なんではないですかね。

MC:トヨさんはこの映画のクランクインを前にして、今年1月、天国に召されました。改めてトヨさんへのメッセージ、そしてこの作品に込めた思いを監督お聞かせ願えるでしょうか。

深川監督:

この映画の企画が、詩集を読ませていただいて映画にできないかというお話をいただきました。脚本を書いたりしている最中に3年かかってしまいました。今年の1月に映画化のGOが出た3日後にトヨさんは亡くなってしまったんですが、映画になったということを聞いて、トヨさんは大変喜んだそうです。主演が八千草さん、息子が武田さんと聞いて、息子役もあっているじゃない、と大変喜んでおられました。実際に、お会いすることはできずに、この映画を作ることになってしまったが、少しでも、精神精読、人間像から外れてはいけないと取り組みました。
本日は、空いた席に、トヨさんが1人いると思って観ていただき、心の中のトヨさんと映画の中のトヨさんがシンクロするのかどうか、少しでも近づけるためにと思ってやっておりますので、成果をご覧くださいませ。

MC:ありがとうございました。ここでもうお一方にご登壇頂きます。
震災後、トヨさんの詩に出会い、深く勇気づけられ、トヨさんの詩集の出版元であった飛鳥新社さんと連携を取りながらボランティア活動をされた、佐々木恭子さん登壇。佐々木さん、トヨさんの詩との出会いについて、うかがわせてください。

佐々木さん:
震災後すぐに発表された詩「被災者の皆様に」。これがトヨさんとの最初の出会いでした。遠くにいるのに、私たちの心情を理解してくださるトヨさんの詩に涙が溢れて止まらなかったことを覚えています。100歳をいきて小さくなってしまった体から絞り出すように紡ぎだされる言葉の一つ一つに込めされていたのではないかと思います。
私たちの心の深いところに響いて、そっと寄り添ってくれる、そんな詩でした。
この詩があれば、みんな生きていける、そう思っておりました。
トヨさんの詩の一節に、「もうすぐ百歳にる私 天国に行く日も近いでしょう その時は日差しとなり そよ風になって 皆様を応援します」というのがあります。
今日はこうやって映画となって石巻に来てくださいました。天国から素敵なお3方を連れてきてくださいました。
みなさんの心にもあかりがともったのではないでしょうか。トヨさんの優しさがみなさんにも移りますようお祈り申し上げます。

MC:
ありがとうございました。残念ながら、お時間も迫ってまいりましたので、最後にこれから映画をご覧になる皆様へ、一言お願い致します。

武田さん:
もっと楽しい話をしたいんですけれども、映画の話でごめんなさいね(笑)
「ことば」っていうのは不思議なもので、母が亡くなって、14年の歳月がたちましたが姉が神戸で日本料理屋をしていまして、その店が阪神淡路大震災で傾いてしまいまして、その時に母が、神戸で商売続けろ、と姉にいいました。
「暖簾もまともにかからん店でどうやって商売するのとか」と姉がヒステリーを起こしたら、「暖簾がかからんば、提灯ばさげ。と」と母は申しました。
戦後を生き抜いた母は、すさまじいなと生きを飲んだ次第です。
トヨさんにもきっとそのようなエネルギーがあるのではと思います。
焼け跡から日本を立て直した国日本が、震災で立て直せないはずがない、母の子である父の子であるという誇りをもって生きていこう。
そんな風に思わせてくれる日本の母の代表であるトヨさん、
辛さを別の言葉に置き換えて笑う、という技術をトヨさんから会得なさるといかがでしょうか、と思います。おっかさん、どう思う?

八千草さん:
ほんとうにそうですよね。佐々木さんがきっかけで、石巻の方とこうつながりができたってことは本当によかったです。すごく石巻の皆様が勇気づけられたと思います。
ずっと私も皆様のことを思っていたいと思います。

深川監督:
このシーン削った方がいいんじゃないか、と言われたシーンがあったのですが、僕が被災地へのメッセージを込めてカットを拒んだシーンがあります。
人はどんなことがあっても、生き続けていくという流れの中で、98歳から頑張って101歳まで生きた人がいる、今のこの状況は通過点にしか過ぎない、約2時間の中のトヨさんの人生で、私の込めたメッセージが伝わると思います。
この映画は、下をうつむくものではなく、前を向いて歩いていく、という気持ちになると思います。笑って怒って泣ける映画です。
笑って怒って、泣いて生きる、という風なことを一緒に体験したいなと思います。
楽しんで帰って下さい。