三波春夫13 回忌/生誕90 年記念公開初日トークイベント
当時のプロデューサーが語る!!

◆澤田「三波さんはきっと、『良かったね』と言ってくれるよ・・・」
「てなもんや三度笠」では、出てもらいたくても、出てもらえなかったひとがいる。三波春夫、美空ひばり、江利チエミの3人。
そこで、東阪企画を立ち上げたときに、当時、歌舞伎座で1ヵ月公演をしていた三波さんを松竹芸能の社長に紹介してもらって、リサイタルをやろうと持ちかけた。周りの人は「断られるに違いない」と言っていたが、実際にお話しをしてみると満面の笑顔で快諾してもらった。それから約1年、地方公演についてまわって、三波さんのことを勉強した。同じ宿に泊まって、食事をともにした。そうやって、このリサイタルの企画を練った。
当時は、歌手の公演といえば、司会が出てきてしゃべり、歌手は歌うだけ、というのが主流。今でこそおしゃべり中心の歌手もいるが、あの頃はいなかった。歌手本人が、自分の半生を自分の言葉でしゃべるという企画を立てて、ぶ厚い台本をつくった。そしたら三波さんは、カンペも何もなしに、淀むことなく舞台の上でしゃべり、歌った。映像に取る方も、当時は、いまのように後から編集するのではなく、すべて生で収録していたので真剣勝負だった。
(音楽の)宮川泰さんは、シャボン玉ホリデーなどで知っていたが、アレンジャーとしての才能はすばらしかった。
そこで、リサイタルの音楽をお願いした。はじめ、これまでの三波さんの譜面を見せたときには、「こんな譜面でやっていたんですか!?」と、なかば呆れ気味で驚かれた。当時の歌謡曲ってのはそんなものだった。それを、オーケストラで演奏できるように全部作り替えたので、譜面代だけでも予算を大幅にオーバーした。そのおかげで、良いものができた。
三波春夫といえば笑顔のイメージしかないと思われるが、歌っている最中に素晴らしい表情をする。座長としてお芝居の公演を打っていたから当たり前と思っている方もいるかもしれないが、はじめのころは立ち回りや所作も下手クソだった。それがやっているうちにどんどん上手くなっていく。そして、歌手として歌う際にも活かされている。
三波さんは、一つの公演や番組が終わると、いつも「良かったね」と声をかけてくれた。あの「良かったね」にはいろんな意味が込められていると思った。もし三波さんが生きていたら、今日の映画をみて、やっぱり「良かったね」と言っただろう。

◆三波「父は、間違いなく、喜んでおります!ノリノリで・・・」
この公演のとき、父は53 才。今のわたしより若いんですよ。
いやもう、娘ながら、びっくりしますね。迫力のある人だったと改めて思います。
ところで、きょうのお客様の中で今回、初めて三波の舞台をご覧になった方はどれくらいいらっしゃいますか?
(—-観客のほぼ全員が手を上げた)
わぁ、嬉しいですね。こうして、若い方々にスクリーンを通じてでも、父の「生の」ステージを見てもらえることが嬉しいです。
父も喜んでいると思います。映画館でご覧いただくなんて。もし、今、父が生きていたら、一緒になって、ノリノリで企画してますよ、きっと。
父は、日本の国、日本人を愛してやまなかったんです。そういう気持ちを歌に込めて唄っておりました。
ぜひ、若い方々にもご覧頂きたい。映画館で、まるでその場で唄っているように観て頂けるのはすばらしいですね。