第35回モントリオール世界映画祭コンペティション部門に参加しております映画『わが母の記』の記者会見が行われました。
なお、本映画祭には原田眞人監督のご子息で、「わが母の記」編集担当の原田遊人(ゆうじん)氏が監督の代理として映画祭に参加。さらに、夏休みでカナダを訪れていた樹木希林さんが、お孫さんの雅楽(うた)さん(13歳)と共に、映画祭に急遽参加されています。
日本の家族を描いた感動作の、まさに“家族ぐるみ”での参加は、モントリオールの観客にも温かな拍手で迎えられ、映画の評判の高さとともに大変な盛り上がりを見せております。

記者会見 現地時間8/27(土)15:15〜 Complexe Desjardes 
     日本時間8/28(日)朝04:15〜
午前中に映画を観て感動した観客なども集まり、会場は満席。本映画祭で日本映画の通訳を度々行っている角田氏曰く「こんなに大勢の人が会見に来たのは初めて見た!」とのこと。

【記者会見内容】
原田遊人さんより原田眞人監督からのメッセージを代読。
原田眞人監督のメッセージ:
我々はこの「わが母の記」を三月のとても天気の良い日に撮り終えました。この作品のクロージングショットとなった画でした。6週間の撮影期間で、日本の四季を映すことができたということは本当に奇跡だったと思います。
翌日、信じられないような惨事が起こり、地震と津波が我々に多大なる被害をもたらしました。
日本が第二次世界大戦以後最大とも言われる暗闇に覆われている中で、この作品のポストプロダクションは進んで行きました。余震だけでなく地震と津波の後遺症が依然として生活を脅かし、飲み水の確保や停電が何度も続く中、作業は行われたのです。
この作品は、自分のキャリアの中で、もっとも重要な作品になりつつあります。
60歳になり小津安二郎を、そしてイングマール・ベルイマンを、ようやく再発見することのできた自分、という点が少し。そしてこの作品は、原作者である井上靖、ベルイマン、そして小津の中に生きる母親像についての意識、という点が決定的に大きかったと感じています。彼らが描き続けた作品群を研究していけば、それらの作品が彼ら自身の母親への愛情から生まれてきているものだと気づくでしょう。
この作品は、あなたとあなたのお母様たちに捧げます。
できれば、作品を見に来て下さったあなたたちにこの場で直接挨拶をしたかった。そして、1996年にモントリオールで撮影をした「栄光と狂気」という作品のスタッフ・キャストと旧交をあたためたかった。この映画の撮影では、とてもいい思い出ばかりが残っています。
この「わが母の記」を上映してくださることに対し映画祭に厚く御礼申し上げます。
そして、モントリオールの皆様にも深い感謝をお伝えしたいと思います。
原田眞人

【質疑応答】
Q1:「この作品が映画祭に選ばれたと聞いて、フランス語で出ている原作を読んだ。ただし、井上靖の原作には出て来ないところがいくつかあり、それについて質問したい。たとえば、小津安二郎監督やベルイマン監督の引用など、そしてトラックで追いかけて行く部分などは原作には出て来ない部分だが、これは原田監督が後から付け加えた部分なのかどうか?」

樹木さん:「まさにそうですね。監督ご自身が映画の世界観を伝えるために加えた部分です。」

Q2:「日本の社会は高齢化社会の道をたどっていると思われます。この映画においても原田監督は現代社会を描きたかったのでしょうか?もしくは原作である井上靖の生きていた時代を反映しているものと思いますか?」

原田さん:「もちろん現在の高齢化社会を踏まえた上での描き方だとは思いますが、原作が書かれた1960年代でも同様の問題は抱えていました。そう言う意味で、家族を描いた普遍的な作品といえます。現在の高齢化社会だけを描こうとしたかどうか、という点は定かではないですが、問題意識は持って描いています。」

Q3:「日本の大ファンです。樹木さんの役についてお聞きしたい。映画の中では、年を重ねながら段々と薄れて行く記憶、という非常に難しい役を演じられていた。記憶を覚えている、失われていく、という微妙な演技の違いについて特別な準備をされたかどうか伺えれば。また、全体としてところどころとてもコミカルなシーンがあったが、撮影中に何か面白いエピソードがあったら教えてもらいたい」

樹木さん:「正常なときと不安定な時の差と言うのは、何も難しいことはなくて、それは私が普段からそうだからなのですが(会場爆笑)。年齢が若い人が年寄りを演じようとする時に、『年寄りはこうだろう』と想像して演じるのですが、それは大きな間違いだろう、と思います。例えば、年寄りは動きや歩くのがとても速かったり、さーっと行動する人もいる。こういう部分は絶対に入れなくてはいけないな、と思ってました。若い女優さんたちは、こちらがとても速く歩いたりするのについて来るのが大変だったり、急に動いたりするので、芝居が予想外・想定外になったはず。年寄りはこうだろうな、という期待を裏切っての演技を楽しんでいましたが、テストも含めしばらくやっているうちにバレました。(会場笑)こう言う人だろうな、と思われてしまい、それは残念でした。」(笑)

Q4:「編集についても伺いたい。映画を見ていて非常にいいな、と思ったのが作品のリズム。原作がある作品ですし、映画をそこから作るにあたり作品のテンポ(リズム)についてはお父様でもある監督と何度も話されたのではないですか?」

原田さん:「デジタルでの撮影と機材を使っての作業でしたので、何度も繰り返しチャレンジすることができた、というのが大きいかもしれません。何回もパターンを変え、一度編集を終えたものも、他との組み合わせの中で、また変えて行く、それを繰り返しました。短期間で行ったので監督の意図が良く分からずやっていることもありましたが、つながってみて理解する、そんなこともありました。その中で、ちょうどいいところを見つけて行くことができたと思います。」

Q5:「今回の映画を見るにあたり色々調べました。その中で、かつて樹木さんはがんを患ったことがあると言うことを知りました。その時の経験は今回の演技には影響されましたか?」

樹木さん:「本来、役者は健康な方がいいんです。役以外では病気はない方が絶対にいいんです。ただ、病気をしたことによって、人の弱さというものが以前よりわかるようになった。それが今回の役に活きたかどうかは定かではないですが。死というものが日本では非日常となってきてしまっている。昔は死というのがそばにあった。今まで生きていたおばあさんが、明日には死んでいる、というものが目のあたりにできた。最近はそういうことは少なくなってきてしまっている。ただ、自分が病気をすることによって、人間は死というものを常に背中合わせに持っているのだ、ということを感じ、死は日常である、ということを表現しようと思いました。」