7月12日より新宿バルト9(東京)、梅田ブルク7(大阪)で上映され連日大盛況に終わった『Queen Rock Montreal cine sound ver.』が、引き続き9月6日よりODS(非映画コンテンツ)としては記録的な26館で待望の全国展開が決定した。

記録記念及び9月5日はQueenの伝説的なフロントマン「フレディ・マーキュリー」の誕生日でもあるということで、急きょ5日(金)に新宿バルト9にて緊急上映された。

当日は、今までの上映ではなかった特典映像や日本でのQueen人気に火をつけた「ミュージック・ライフ」元編集長・東郷かおる子氏とラジオDJとしても大活躍中の今泉圭姫子氏によるトークも繰り広げられ、謎に包まれたQueen秘話と誰もが認めるその魅力をたっぷりと語った。
新宿バルト9最大の大スクリーンでフレディ・マーキュリーが甦り、ファンにはたまらない一夜となったのである。

今泉氏:私にとってクイーンは全て。フレディが亡くなってから、まともにライヴ映像を見たことはありません。今日は最後までちゃんと見られるかな・・・。でも、皆さんと共にクイーンのすばらしさを改めて感じたいです。

東郷氏:当時、私はクイーンがこれほどまでに多くの方々に愛されるバンドになるなんて思ってもいなかった。1974年にクイーンはイギリスのバンド、モット・ザ・フープルの前座としてアメリカにいたんです。私もモットの取材が目的だったんですが、前座として登場したクイーンの姿を見たとき瞬間、“絶対に彼らは日本で人気が出る!”と感じたんです。簡素なステージで演奏していましたが、フレディは力強い歌を聞かせてくれました。

今泉氏:私はフレディの嫁になるのが夢だったんです。

東郷氏:それは儚い夢だねぇ(苦笑)。フレディは最初から普通ではないなと感じていました。変な人だったんです(笑)。サービス精神が旺盛で気を配る反面、ものすごく“ちゃらんぽらん”な部分もあって。そのアップダウンが激しくて、何度も頭を叩いてやろうかと思いましたよ(笑)。

今泉氏:きっと独自の世界観を持っている人だったんです!

東郷氏:たしかに、おしゃべりでかわいい一面を見てしまうと“まっ、いーか”なんて思ってしまったりして・・・。あと、印象的なエピソードと言えば1985年にバンドの仲がぎくしゃくしていた時に、フレディはソロアルバムを出したんです。その時、“「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」のビデオクリップを見たい?”っていうか、“見てよ!”っていう感じの顔するから一緒に見たんですよ。でも結果、4回も見させられました。見る度にくるっと振り返ってニカっと笑って、「もう1回見る?」なんて言うから……。何度も一時停止させて「ここの背中の線がゴージャスなんだ!」なんて言って(苦笑)。
クイーンのメンバーたちを見ていると、どうしてこの4人だったんだろう?って思いますね。この4人じゃないと作れない音があるから、やはりこの4人が集まったのは運命的なものだったんじゃないかな。

今の子たちがクイーンを知らなくても、曲を聴いて「これ、クイーンっていうんだぁ」と思いながら聴き続けてくれたらうれしい。あとね、フレディは日本を第二の故郷だと思っていたんです。よくどこかの外国人が「日本は第二の故郷だよ!」なんて言うけど、あんなの嘘っぱち。フレディは本当にそう思ってたの。

<上映終了後>
今泉氏:私はフレディが亡くなったなんて思ってません。毎年毎年、何か形としてこういうイベントができたらいいなぁと思います(会場大拍手)。私も立ち上がらなくちゃ! また、クイーンと向き合わなくちゃ! これを見てそう感じました。

その後、特別上映されたのは1985年7月に行われた20世紀最大の音楽イベント「ライヴ・エイド」でのパフォーマンス。4人が集まった“最後”のステージ。これには、多くのファンたちが泣き、叫び、一緒に歌い続けた──。
そして最後には、会場全体が一体となり、「ハッピー・バースデー、フレディー♪ ハッピー・バースデー、フレディー♪」と大合唱。
ファンたちのフレディへの愛は、天国にいるであろうフレディにもきっと届いたはずだ。

(Report:Naomi Kanno)