「私が惹かれるのは、人々の歴史です。」
『9・11』での短編製作も記憶に新しいイスラエルの巨匠・アモス・ギタイ。今回のテーマとして選んだのは、未だ解決の糸口の見えない、イスラエル=パレスチナ問題である。自身の叔父もナチス進行の際にポーランドから逃亡し赤軍の兵士として戦争に参加した後に船でパレスチナに向か、到着直後に戦闘に参加したという。そして、これを主題として『ケドマ』は製作された。ベースにドキュメンタリーの素地をもつギタイ監督。彼のメッセージは世界に響くのか?共同脚本のマリ=ジョゼ・サンセルムが舞台挨拶とティーチ・インに登壇した。

マリ=ジョゼ・サンセルムさん(共同脚本)——1948年についての映画です。この映画の舞台設定はイスラエルの建国・独立宣言が出される数日前、まだ大部分の地域がイギリス領下にあった時の話です。その数ヶ月前に、国際連合がパレスチナの領地をユダヤ人のイスラエルとアラブ人の国とに分けるという国連決議が出た年から、エルサレムへと向かう道をめぐってユダヤ人とアラブ人の激しい戦争が始まっていました。そしてそのほぼ同時期にナチスのホロコーストから生き延びてきた人々は大量に船に向かってパレスチナへと向かっていました。あまりにも激しく暴力的な戦争であったために統治下から来た人々は到着してすぐに戦争に加わることになったのです。この映画の物語は様々な言葉を使っているがためにお互いにコミュニケーションができない人々、そしてその人々がパレスチナという悲劇的な地に到着してしまったという出来事です。

Q:この映画の意図はどこにありますか?
マリ ——この映画の一つの意図としては、どこかの場所から追い出されるということが平行して行われたという歴史を描くことです。ここに出てくる人々はヨーロッパから追い出されたり、ナチの収容所から出てきた人たちであり、イスラエルやパレスチナにやってきたことで命を救われた。で、それと同時にそこにいた民族が結果的に追い出されてしまった。そういう一種“パラレルな”ことが進行していた。映画の中でこのようなことに関してどのような結論を出すのか?そういうことを言いたい為の映画ではなく、むしろ人間がその様な状況に出会ったときに運命に影響され、悲劇を生んでしまう...そういうことを描きたかったんだと思います。それに加えここで使われているパレスチナ人やユダヤ人のテキストは当時の歴史を明らかにしている。その絶望や怒りのエモーションもこの映画に描かれているものの一つといえます。

Q:今後のイスラエルとパレスチナの平和について思うところは?
マリ——2年前『キプールの記憶』(アモス・ギタイ監督作品)の撮影準備でゴラン高原に行ったのですが考えてみると時代はすごいペースで進みました。その時は和平についての話が行われていたのですが、現在では全ての人が関わらざるを得ないような大きな変化があったわけです。この映画は、全く新しいコンテクストつまり2000年以降変わってしまったコンテクストの中で作られた映画です。現在あちこちでショッキングな事件がおきていますが、この映画にはコミュニケーションということについて描かれていて、それは今後の和平の道筋を示しているんじゃないかと思います。実際に、現在イスラエルに来る人々の最初の使命は6ヶ月ヘブライ語を勉強することなんです。その点、『ケドマ』で描かれていることは現在とは変わらないといえます。

Q:撮影のヨルゴス・アルヴァニティスについて。
マリ——アモスはヨルゴスとの仕事を非常に良かったといっている。ヨルゴスは地中海人であり大変地中海の光について理解していたんです。その土地において人をどこに配置するのかということも大変熟知していた。

Q:アモス監督の映画作りのプロセスは?
マリ——アモスの映画はいつも、俳優の介入があって始めて脚本が出来上がる。様々な台詞をいつも考えていくんです。実際に俳優が台詞を変え、それと同時にロケ地も変えて・・というようなプロセスで作り上げるのです。

 投げかけられた質問は、極めて政治的な内容を含んだものがほとんどであった。ティーチ・インを聞いている最中から、イスラエル=パレスチナ問題という海を越えた国々の紛争に対して日本にいる我々はどれだけに“当事者意識”を持っているのだろうか?・・自分に問いかけずにはいられなかった。昨日『六月の蛇』でのティーチ・インでの塚本監督の「日本は平和であることに甘んじている。」とのコメントが蘇った。

(Yuko Ozawa)

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