映画『死の谷間』 松崎健夫さん(映画評論家)トークイベント
この度、6月23日(土)より新宿武蔵野館ほか全国で順次公開する映画『死の谷間』のトークイベントを6/14(火)に都内・神楽座にて下記内容で行いました。
日 時 6月14日(木)20:40〜21:10 場所:神楽座
登壇者 松崎健夫さん<映画評論家>
映画上映後に、映画評論家・松崎健夫氏によるトークイベントが開催された。
キャストについて
主演のマーゴット・ロビーは、最近ではアカデミー賞候補にもなった「アイ・トーニャ〜」でプロデュースをしましたが、(本作は3年ぐらい前の製作で)当時は主役級の女優ではなく、監督は青田買いのようなかたちでキャスティングしたのではないかと思います。それまでお姫様的な綺麗な役柄しか演じてこなかった彼女が、本作で強く生きる女性を演じたというのが、「アイ・トーニャ〜」で役を取りに行った彼女と重なり、預言的だなと思いました。。原題にある「Zachariah」というのが“預言者”の意味なので、そういうところが面白い。原題は「Z for Zachariah」で、映画の中では説明がないのですが、「Z」は最後の人間を意味してまして、原作の方にはきちん説明がされていますので、ご興味がある方は原作もご覧ください。「Z」というとゾンビを連想してしまうかもしれませんが。(笑) また、クリス・パインは、他の作品では良い人の役が多いですが、本作では悪意のある不穏さを持った役です。登場のシーンでは監督が意図したカットになっていて、二回観ていただきたい気持ちを込めて説明をすると、クリス・パイン演じるケイレブの周囲の木が枯れてるんです。核汚染を免れたアンの住む周囲は緑がいっぱいなのに。「死んでる木」=「彼の死」も連想させます。
三角関係について
三角関係については、監督が言っていたのですが、(三人のうち)絶対一人は我慢しなきゃいけない状況になると。原作では、科学者の男性ジョン、宗教心の強い女性アンという、「宗教主義」と「実用主義」の戦い、「男」と「女」の対立を描いていますが、映画の中では3人目を登場させることで、単純に女性を取り合う話になっています。アンがどういう風に男をみているか、人間がどうやって人を見ているかなど、対立構造を増やしています。「男」と「女」や、「白人」と「黒人」などのより多くの対立を描いていて、たった3人の登場人物だけで原作以上に現代社会の不安をあぶりだしています。
ディストピア作品について
ディストピア、世紀末ものと言われるものは、これまでにたくさん作られています。昔でいうと、産業革命が起こった時に、科学が進みすぎて機械に人間が使われてしまうんじゃないかという危機感がありました。原子爆弾なども発明されたりして。原作が発売された1974年でいうと、キューバ危機などがそれにあたるのではないかと。米ソ冷戦で核戦争とか起こるんじゃないかと。
近い時期に公開されたキューブリックの「博士の異常な愛情」なども、社会の不安が描かれたものでした。ハリウッド映画というと、アメリカが仮想敵国を作るように、アフガンが悪い、どこどこが悪いと、そういう映画が作られていました。ただ、最近は明確にこいつが悪いという描き方ができなくなって、善悪を灰色に描くようになっています。悪い役柄の人物でもそれなりの理由があるんじゃないかという表現にしている。本作でいうと、原作では、片方が悪いという描き方をしていますが、監督は登場人物を3人にすることで、灰色の描き方をしたのではないかと。
結末について
ラストについても原作では明確ですが、映画ではぼかしています。観客にゆだねるように作っていて、どっちとも取れるし、観客はどっちに捉えてもいいけど、作り手はこっち側に感じて欲しいと思っているのではないかと思う。原作と映画で40年ほどの開きがあるんですが、社会が変わった部分もあるけど、変わってない部分もあります。監督は前作「コンプライアンス〜」でも、ミニマムな人物しか登場させていなくて、共通点をみると、人はどうやって信用をするのか?と説いている気がします。原作を読むと、監督の意図がより見えてくると思います。また、議論になる結末というのは、監督の罠にひっかかっているということです(笑)。
どう捉えるかは人それぞれでいいと思うけど、監督はこういう結論だったんじゃないかと想像するのも、楽しいと思います。
最後に一言
タルコフスキーの「ストーカー」のオマージュとして撮っているシーンや、風景に登場人物のような効果をもたせているシーンなどもいくつかありますので、もう一度そのあたりも気にしながら観ていただくと面白いと思います。