BBCをはじめ海外の主要メディア、⽇本でも各新聞&テレビに取り上げられ、⾹港で記録的⼤ヒット。10年後の⾹港を舞台に、5⼈の若⼿先鋭監督達が近未来を描き、社会現象となった短編オムニバス作品 『十年』 (2015年製作。⽇本公開2017年)。その⾹港映画 『十年』を元に、⽇本、タイ、台湾、3カ国でそれぞれで、⾃国の現在・未来への多様な問題意識を出発点に、各国5⼈の若⼿映像作家が独⾃の⽬線で10年後の社会、⼈間を描く国際共同製作プロジェクト『⼗年 ⽇本(仮)』の製作発表記者会⾒が、釜⼭国際映画祭で⾏われました。

⽇本版のエグゼクティブプロデューサー(総合監修)として大ヒット上映中『三度目の殺人』䛾是枝裕和(55)、タイ版は監督として、アピチャッポン・ウィーラセタクン(47)(『ブンミおじさんの森』)が参加。国際社会への相互理解を深めたいというオリジナル版スタッフの熱い想いを受け継ぎつつ、アジアの新しい才能を発⾒し育てる、国際共同製作プロジェクトです。

【実施⽇時】10⽉16⽇(⽉)14:30〜15:30
【会場】釜⼭国際映画祭内プレスセンター(Busan Cinema Center内、Dureraum Hall/120, Suyeonggangbyeon-daero, Haeundae-gu, Busan)
【登壇者】 ★が記者会⾒からの登壇者。(★以外は、フォトセッションのみ登壇。)
『⼗年』 (⾹港)
★アンドリュー・チョイ/Andrew Choi(エグゼクティブプロデューサー)
★ン・カーロン/Ng Ka Leung(エグゼクティブプロデューサー、『地元産の卵』監督)
フェリックス・ツアン/Felix Tsang(プロデューサー)
ロレイン・マ/Lorraine Ma(プロデューサー)
『⼗年 タイ(仮)』
★アーティット・アッサラット/Aditya Assarat(プロデューサー兼監督)
『⼗年 台湾(仮)』
★リナ・ソウ/Rina Tsou(監督)
シー・ヘン・クエック/Shee Heng Kuek(ラインプロデューサー)
『⼗年 ⽇本(仮)』
★是枝裕和(55)(エグゼクティブプロデューサー)
髙松美由紀、福間美由紀、⽔野詠⼦、ジェイソン・グレイ(以上、プロデューサー)
★⽊下雄介(36)、 ★津野愛(30)、 ★早川千絵(41)、 ★藤村明世(27)、(以上、監督)
⽯川慶(40 監督)*記者会⾒は不参加。テキストコメントのみ。
「⼗年 Ten Years International Project」 公式FB:https://www.facebook.com/tenyearsinternationalproject/

●「十年 Ten Years International Project」プロジェクトのコンセプトについて
アンドリュー・チョイ(『十年』 (香港) / エグゼクティブプロデューサー)
このプロジェクトの発表が釜山国際映画祭で出来ることを光栄に思います。香港の『十年』を作った際、香港が変革の時期にあり、今後香港の未来に何が起こるのかを描いた作品でした。その作品が香港フィルムアワードを受賞し、各国の映画祭を巡りました。もっと想像することをシェアしたいと思い、「十年 Ten Years International Project」を作ることになりました。
是枝さんを、日本のエグゼクティブプロデューサーに迎えることが出来て、本当に光栄です。

ン・カーロン(『十年』 (香港) / エグゼクティブプロデューサー、『地元産の卵』監督)
ここにいるプロデューサーや監督達が、このプロジェクトに参加してくれ感謝しています。『十年』(香港)が昨年の大阪アジアン映画祭でジャパンプレミア上映をした時、80歳くらいのおじいさんから「香港の現状を知らなかった。この作品を観て日本の将来についても気がかりになった。」と言われました。昨年のウディネ・ファーイースト映画祭で日本のプロデューサーに会い、この企画をはじめることになりました。世界と想像をシェア出来ることがとても楽しみです。

是枝監督(『十年 日本(仮)』/ エグゼクティブプロデューサー)
僕がこの企画に賛同して参加をした理由はいくつかあります。オリジナルの香港版の『十年』が素晴らしかったことが一つ。
そして、このプロジェクトをアジアの各国で実現していくことは、映画を通じて十年後のアジアというものを考える、みんなで考えていくことのきっかけになるのではと思ったことが一つです。それと同時に、なかなか日本ではショートフィルムがまだ一般的ではないこと、そして日本の若手の監督たちが日本の国内だけではなく、こういった形でこの(釜山国際)映画祭へ参加できることも意義が大きいと思うんですけど、アジアの映画人の一人として映画を作り、アジアの映画人たちと交流を深めていくいいきっかけになればと思いました。これが参加を決めた大きな理由です。
もうちょっと若かったら自分も監督として参加したんですけどね。
今回はエグゼクティブプロデューサーというちょっと偉そうな肩書きですけど、若い監督達と一緒に脚本作りに関わったりアドバイスをしたり、そういうサポートというポジションでの関わり方になっています。とても楽しんでやっています。

アーティット・アッサラット(『十年 タイ(仮)』/プロデューサー兼監督)
私はプロデューサーと監督を務めます。このプロジェクトに参加できたことは、タイにとってすごくいい機会だと思いました。タイは色々な政治的変化が起こっていて、クーデターも起きたりしています。インターネットでいろんな人の声をオープンに出来る時代になりましたが、加えて、タイの『十年 タイ(仮)』を通して、タイの人々の声を世界に届けたいと思います。

リナ・ソウ (『十年 台湾(仮)』 / 監督)
初めて『十年』 (香港)のプロデューサーであるフェリックスにベルリン国際映画祭でこの企画のことを聞いて、即座にYesと応えました。台湾は他の国に比べると、そこまで問題は表面には出ていませんが、だからこそ、隠された問題や人々の不安を描けるのではないかと思います。私は移民の家族問題について描きます。映画とは私たちの生活を映し出す鏡だと思っています。過去に犯した間違いを見つめることで、同じ過ちを繰り返さない力を持つと思います。

木下雄介(『十年 日本(仮)』/ 監督)
このプロジェクトに参加出来て光栄に思います。今起きていることの連続が、将来の日本を作ると思っています。日本の将来の為に、希望のある映画を作ろうと思います。

津野愛(『十年 日本(仮)』/ 監督)
まず、香港版の『十年』を見て日本の諸問題のどこに自分なりの切り口を見つければ良いのか、すごく悩みました。設定は10年後ですが、20年後、30年後と、人間の普遍的な思いを込められたらと思います。

早川千絵(『十年 日本(仮)』/ 監督)
オリジナルの『十年』に励まされました。今回このプロジェクトに参加することが出来て光栄に思っています。

藤村明世(『十年 日本(仮)』/ 監督)
今回は私が思う日本の未来を誠実に、そして自分の中の正義を投影しながら映画を作っていきたいと思います。とても光栄な機会を頂いたので、のびのびと色々なことに挑戦しながら映画を作っていきたいと思います。

石川慶 (『十年 日本(仮)』/ 監督) *記者会見は不参加だが、事前にもらったコメント
テレビでも商業映画でもなかなか扱えないテーマを、こんなに伸び伸びやらせてくれるプロジェクトはこれまでもこれからもないでしょう。十年後、映画人として後悔しないように、声を大にして撮ります。

MCから是枝監督へ質問:是枝監督は、日本のプロジェクトにどのように関わっているのか
日本のプロデューサーに、香港版の『十年』を観させて頂き、香港でとても成功した結果を受けてこの企画をアジア各国で展開していこうというプロジェクトが動いているので、その日本版に参加してくれないかという依頼がありました。
オリジナル版は非常に挑戦的な企画でしたし、政治的な要素を題材にしているものも多く含まれているものもあったので、果たして日本で十年後を描くことが、その香港版に匹敵する意味を持つだろうか、ということを自分の中では考えました。考えた上で、必ずしも表面的には政治的な課題は実はみえにくい、さらにいうと僕より若い世代が、そういう題材とはなかなか向き合っていないように僕にはみえる、僕らの世代にはそうみえている。そのことが作品作りを通して逆にどのように若い世代の彼らが今の社会とか日本をどのように捉えているのかをみてみたいと思いました。
そういうことに触れることが、僕にとっても必要だなと感じたので、参加を決意しました。

是枝監督へ韓国記者から質問:『十年』の韓国版があったら、どのようにプロデュースしますか?
韓国でのプロジェクトも同時に進行できればよかったと思うんですけどね。
今回の第二弾が成功して、第三弾、第四弾と広がっていったときに、韓国の若手の監督が数多くこのプロジェクトに参加してくれるような、そういう魅力的な第二弾となればいいと思います。
ぜひ、来年釜山でそういう発表ができるといいなと思います。

是枝監督へ台湾記者から質問:若手映画監督へどういった支援をしていくべきだと思われますか?
20年位前に侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督と懇意にさせていただいている中で、彼が将来的にアジアの国境を越えて、日本と韓国と台湾と香港と中国の監督達が一同に集まってインディペンデントで、その当時はまだ発想としては16ミリでしたけど、それぞれ映画を作って公開をしていく、国境をこえたプロジェクトを作りたいんだと、1993年に話をされていたんです。その時、僕はまだ映画監督ではなかったけど、ホウさんがそういう話をされていて、「そういうの作ったら、お前が監督になったらそこに来て作れよ。」って誘ってくれたんですよね。それがもう25年近く前になりますけど、未だに僕の頭の中に残っていて、今回のプロジェクトの話を頂いた時、真っ先に思い出したのはそのことでした。
若手に作る場所をどういう場所を提供するのかということを考えた時、日本は金銭的にも全く足りていないですし、その部分もなんとかしないと世代が上の人間としては思っているんですけど、こういう場所にきて、同世代のアジアの若手の作り手達と刺激をし合うことで、多分意識は変わるはず。日本の中だけで作っている作り手には感じられない意識の変革が、僕も若い時にこの釜山国際映画祭を始めとする多くの映画祭に参加することで変化が自分の中で起きたという実感があるので、まずはそういった精神的な面での支援はできるのではと考えています。