2013 年『舟を編む』で賞を総なめにし、その後『ぼくたちの家族』『バンクーバーの朝日』など、33 歳にして長編映画 12 本目となる最新作『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』が現在、公開中の石井裕也監督。原作は、2016 年に出版された、最果(さいはて)タヒの同名詩集。最果さんは 2008年、当時女性では最年少の 21 歳で第 13 回中原中也賞を受賞するなど、各メディアから「新しい表現者」として今最も注目されている詩人。映画の舞台となるのは 2017 年、現代の東京。看護師として病院に勤務する傍ら、夜はガールズバーで働き、言葉にできない不安や孤独を抱えながらも、誰かに甘えることもせず日々をやり過ごす美香と、工事現場で日雇いの仕事をしながら死の気配を常に感じ、どこかに希望を見出そうとひたむきに生きる青年、慎二が排他的な東京で生きづらさを抱えながら出会い、そして、恋がはじまる瞬間を描くラブストーリー。美香を演じるのは、石橋凌と原田美枝子の次女、本作が映画初主演となる石橋静河(いしばししずか)。慎二には、石井監督作品への出演が本作で 3 度目となる、池松壮亮。その他にも、慎二と同じ工事現場で働く冴えない中年男性・岩下を田中哲司。同じく慎二の同僚で、行き場のないイラ立ちを抱える智之を松田龍平が出演。その他にも、市川実日子、佐藤玲、三浦貴大など豪華かつフレッシュなキャスト陣が名を連ねる。

この度、PFF(ぴあフィルムフェスティバル)の自主映画のコンペティション「PFF アワード 2007」でグランプリを獲得以降、日本映画界の将来を担う才能として話題作を発表し続ける石井裕也監督が池松壮亮さんと共に、早稲田大学が旬のクリエイターを招いて行っている講義「マスターズ・オブ・シネマ」にゲスト登壇しました。

6 月 3 日(土)早稲田大学・早稲田キャンパス 8 号館 106 教室で催された講義「マスターズ・オブ・シネマ」の会場には約 400 名の学生が集まった。熱気に包まれた会場に多くの拍手で迎えられた池松、石井裕也監督が登壇。さらに、本イベント主催者であるぴあフィルムフェステバルディレクター荒木啓子と学科教授土田環が登壇し対談した。

映画を志す学生を前に、石井監督の学生時代一番大切にしていたことについて「大阪芸大へ行くということは、他の職業への潰しは効かないと思っていたので、この道でやって行くしかないと覚悟していました。さらにキャンパスが田舎でしたので 、遊べる環境もなく、ずっと映画を作っていました。例えば、昨日見た夢を今日映画化して見る、みたいな生活をしていました。」と学生時代の思い出を語った。さらに、学生時代に抱いていた将来像について石井は「当時は、インターネットも使えなかったので全く情報がない中で、自主映画を作り続けてプロになれるのは、熊切監督、山下監督のように「ぴあフィルムフェスティバル」でグランプリを取ってスカラシップで商業映画をとるということをモチベーションに自主映画を作っていました。当時のアイデアノートを見返すと、1日2〜3本は映画の企画を考えていたし、文庫本をよく持ち歩いて、思いついたことをメモしていたりしました。自分の考えをメモしておくと、ある時それを見直して、今撮っている映画の企画に繋がったりするんですよ。」と学生時代の目標を語った。

子役時代から俳優の仕事をしてきた池松は、自身の“仕事としての演技”を自覚するきっかけについて「元々、人気者になりたくて始めたことではなかったので、福岡にいた18歳までは自分の生活を優先していました。仕事として自覚し始めたのは、高校卒業後上京してから、“逃げない“と決めました。」と語った。日本大学芸術学部映画学科監督コースへの進学については、「世の中で必要とされている俳優のあり方が、自分の中で好ましくなかったということと、映画の作り方を知らないまま、俳優をやっていたので、演出する側から俳優を考えて見たかったこともあり、監督コースに入学しました。実際に作品を作ることで、今まで見えていなかったことがわかりましたし、学生映画・自主映画を経験できたのはよかったです。」と、制作側を経験しての感想を語った。

石井と池松はこれまで、『ぼくたちの家族』『バンクーバーの朝日』『映画 夜空かいつでも最高密度の青色だ』と今回3度目のタッグとなるが、お互いと仕事をしたい訳について石井は、「どんな仕事でもそうだと思いますが、映画づくりは勝負なんです。その作品が始まるときに自分が生まれて、終わるときに死ぬという感覚でやっています。1本の映画を撮るということは大ごとなんですよ。
自分の人生だけでなく、多くの人の人生がかかっているので、作品を完成させるには強力な仲間が必要なんです。その“強力な仲間”が池松君なんです。現場では、映画がどのようなものになるのかを探りながら作り上げて行くのですが、とにかく池松くんとは“間合い”が合うんですよね。例えば、『バンクーバーの朝日』では何百人のスタッフが現場にいますので、自分が一人で“頑張ろう”と叫んでも届かないんです。なので、それぞれ部のボスを本気にさせるようにするのですが、俳優部に関しては、池松君のように自分の思いを強力に理解できる人がいるととてもやりやすいんですよね。」と池松と息の合う関係性について語った。
一方池松も、「僕は 20 歳の頃に映画を観漁っていた時期に、ぴあで大活躍している石井さんの作品を見て一気にファンになりました。石井さんは自分が普段思っていることを体現していて、時代を共有できる感じは今も変わらず感じます。」と石井と相思相愛エピソードを披露した。さらに、他の監督と石井との違いについては「人と映画のつながりや、今の社会と映画のつながりを大事にする監督だと思います。そもそも、自分が作りたいものを人に見てもらうということはとても勝手なことだと思いますが、石井さんはそれを見せたその先のことまできちんと考えているので、その点では他の監督の中では、ずば抜けていると思いますね。石井監督の初期作品を見ていた頃、まだ会ったこともないのに、この人と映画を作らなきゃと思っていました。」と石井監督愛を語った。

さらに会場に集まった映画を志す学生からの Q&A も行われた。

脚本家志望の学生から「映画製作において、どのような脚本が芸術的側面で優れていると思うか」という質問について石井は、「映画の感想を聞いていると、よく脚本が良くないとか言われることがありますが、そういう人って、映画を見ているだけで脚本を読んだことはないんですよね。つまりそれは映画の「筋」を言っているだけなんですよね。個人的には、余白がある脚本が良いですね。脚本には心情を書かずに動きで表現をするので、小説などと比べると心情を描くという面では向いていないわけです。でも、この行間を、照明・撮影部・美術部が様々な想像をしてシーンを決めていくわけです。なので、あらゆる人の想像力を喚起される余地のあるものは良い脚本だと思います。歌の作詞と似ているかもしれないですね。大事なところを言わないということですね。」これに対して池松は、
「まず、いい設計図であることが大切だと思います。ゼロからのスタートの場合、脚本しかないので、皆の良き指針であることが大切なのではと思いますね。脚本を読んで、自分にオファーが来た役ではない役をやりたいと思うこともよくあります。最近でいうと、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の脚本は、本当に驚きました。自分としては、この脚本以上のことはできないのではないかと思うくらいに、脚本としての完成度が高かったです。」と語った。

さらに、石井監督は「 『ぼくたちの家族』はト書きで動きを細かく書いていたのですが、それがかえって俳優の演技を制限してしまうので、次の作品からはそのようなト書きは書かないようにしました。自主の頃は、素人の集まりなので、役者にも細かな指示を入れていましたが、池松さんのようなプロの方とお仕事をするようになると、役者に委ねることが大切なのだと思いました。」と、自主映画時代と現在の脚本作成の違いについて語った。

現在公開中の『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の劇中に登場する「Tokyo Sky」を歌う野嵜好美のキャスティングについて聞かれると、「人生において、違う視点を得たことで価値観が変容していくとうことが、表現の面白さだったりするので、物事には多様な見方があるという思いで、彼女を登場させました。作詞については、5分くらいで考えました。凡庸なことを体現するには野嵜さんがベストだと思いキャスティングしました。」とキャスティングについても語った。

石井監督の過去作を見ている学生から、過去の場面のシーンでもフラッシュバックを挿入しない演出方法について聞かれると、「映画の登場人物における“過去”の表現の難しさは、人を変えなければならないため、同じ役者ではないので感情移入が寸断される恐れがありますよね。また説明的になってしまうことは短絡的な表現だと思ってしまうので、僕は使わないですね。例えば『ゴッドファーザー』『ニュー・シネマ・パラダイス』など成功している例はもちろんあると思いますけどね。映画やドラマにおいて、内容が“わかる”“わからない”については重要ではなくて、わからないからこそ、理屈にならない面白さがあると思うのです。そこに価値があると思うのです。なので、回想シーンはあまりつかいませんね。『ぼくたちの家族』の場合には特にそれを排除しました。」と演出のこだわりを語った。

最後に、映画を志す学生へ、本イベント主催であるぴあフィルムフェスティバルの荒木は、「映画は映画館で見て欲しい、大学に行かなくても映画祭や映画館に通うことの方がよっぽど意味があると思う。」とコメントした。