映画『消えた声が、その名を呼ぶ』映画を通して学生が考える難民問題と平和、学生×駐日アルメニア大使×有識者シンポジウム
映画『消えた声が、その名を呼ぶ』(12/26公開)に先立ち、12月8日(火)に紛争・平和という課題に特化した日本初の学生NGO団体「日本学生平和学プラットフォーム(jsapcs)」主催の特別試写会つきシンポジウムを行いました。
<開催概要>
■開催日時:12月8日(火)17:50開場/18:10開映 シンポジウム開始 20:30 〜 21:25
■開催場所:早稲田大学3号館203教室
■登壇者 :日本学生平和学プラットフォーム(学生)、グラント・ポゴシャン氏(駐日アルメニア共和国大使)、
佐藤安信氏(東京大学教授、難民政策プラットフォーム共同代表)
滝澤三郎氏(元UNHCR 駐日代表、東洋英和女学院大学教授)
本作は、100年前にオスマン・トルコで起きた、知られざる歴史的事件のアルメニア人虐殺を背景に、声を奪われた一人の男が深い絶望を乗り越え、生き別れになった娘と再会するため地球半周、8年の歳月をかけた遥かなる旅路を描いた作品です。
本作の題材となったアルメニア人虐殺から、今年でちょうど100年を迎えます。「20世紀最初のジェノサイド」といわれ、ヒトラーがユダヤ人虐殺の手本にしたとの話もある、犠牲者100万人とも150万人とも言われるこの凄惨な事件。
いわば事件の加害者側であるトルコを出自とするファティ・アキン監督が様々な国の協力のもと、アルメニア人の物語を映画化したことは、非常に重要な意味を持っています。
世界はこれに学ぶことなく、第二次世界大戦後もカンボジア、ルワンダ、スーダン等で大量虐殺(ジェノサイド)は繰り返されてきました。
そして本作の主人公ナザレットのように、いまもなおシリア難民をはじめ故郷を追われる人々、難民が後をたちません。
今回、大学の垣根を越えて、紛争学・平和学について勉強会を行っている学生NGO団体「日本学生平和学プラットフォーム」が、映画の上映後、アルメニア人虐殺を起点に、過去、そして現在の迫害や虐殺、故郷を追われた難民問題について、これからの世界の在り方、平和とは何かを考えるシンポジウムを開催しました。当時、トルコからアルメニアへ命からがら逃げ延びた少年を祖父に持つ、駐日アルメニア共和国大使グラント・ポゴシャン氏にはアルメニア人の目線から、そして難民・人間の安全保障・平和構築がご専門の佐藤安信氏には虐殺や難民問題をどのように克服するかについて、また元UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)駐日代表の滝澤三郎氏に難民対する日本の在り方を伺いました。
80名の参加者と共に、その現状をどのように考えるのか、そして日本という国や個人は何ができるのかについて話し合う充実した内容となりました。
【シンポジウム内容】
★アルメニア虐殺について、大使の祖父が逃げ延びた経験をお持ちとのことですが、お話をお聞かせください。
ポゴシャン大使:私の祖父はジェノサイドから命を守るため、逃げ延びた経験があります。
しかし、当時の経験はあまりにも悲しいものだったので、あまり話すことはありませんでした。でも、話すときは、父を亡くし、母を亡くし…
どのようにして自分が助かったのかを伝えてくれました。しかし、祖父の話はアルメニア人にとって決して特別ではなく、『消えた声が、その名を呼ぶ』の主人公のような話が当時たくさんあったのです。
★佐藤さんは、UNTAC人権担当官としてカンボジアで勤務されていました。アルメニアとカンボジアは、形は違えど過去にジェノサイドの経験がありますが、共通点がありましたら教えてください。
佐藤氏:ジェノサイドという点におけるアルメニアとカンボジアの共通点は3つあります。
一つ目は「誰にでも起こること」です。殺す側、殺される側、どちら側にもなり得るということです。殺さないと殺されてしまうという、恐怖の連鎖です。ポル・ポト政権下では、約170万人もの人々が亡くなりました。二つ目は「国際社会の状況」です。
どちらも政治の中で起きた悲劇です。三つ目は「最初に犠牲になるのは、弱者・女性・こどもである」ということ。ジェノサイドでは、いつも民間人がスケープゴートにされてしまうのです。
★アルメニア人は虐殺によって離散民となりました。これは、現在の難民問題にも通ずるものがあると思います。
UNCHR(国連難民高等弁務官事務所)にいるときに感じた事、役割などを教えてください。
滝澤氏:『消えた声が、その名を呼ぶ』で起きていた虐殺は、現在も起きている問題です。単純に100年前、150年前の話ではないのです。
今問題になっているシリア難民。1200万人もの難民が、映画で描かれるような悲惨な生活を送っています。
では、どうしてこのような問題が起きてしまうのか。それは、「国の崩壊」が原因です。領土や政治が上手く機能しておらず、政治が強くて弾圧がある、政治が脆弱で紛争が起きる…難民問題は、国の在り方に直結します。
そして、こうした問題が虐殺にもつながってくるのです。難民は、家族と引き裂かれた人がほとんどです。
UNCHRはそのような人々を支援しているのです。
★100年経った今でも、アルメニアとトルコの国家間では歴史認識の違いがあることについて、どのように考えますか?
ポゴシャン大使:アルメニア人虐殺について、トルコには正式に認めて欲しいという思いはあります。
しかし、トルコが認めたからと言って、トルコ人が悪いということではありません。それは、ドイツのナチスもそうですが、これまでの歴史を振り返ってみても分かることです。国が認めるということは、実際に手を下した人だけが犯罪者として認められるということです。
ただ、それをきっかけに知識として蓄積し、忘れることなく後世に残していくことが大切なのだと思います。
★虐殺は、以降長きにわたる民族間の対立を引き起こします。そうした過去をどのようにすれば、誠実に反省させる、あるいは許すことができると考えますか?
佐藤氏:殺さなければ、殺されてしまう状況下で起きた虐殺は、その状況自体にも問題があるので裁判も難しくなってきます。
カンボジア、ポルポト政権下で起きた虐殺のクメール・ルージュ裁判でも、裁判の存在意義が一部で問われてきています。
でも、被害者の復讐心は、法的処罰をすることによって軽減します。実際に加害者が心の底から反省するということは難しいかもしれません。
しかし、裁判は被害者が前に進むためのステップであり、悲劇を克服するために必要なことだと思うのです。
★現在の日本社会の難民に対する制度面についてご意見をお聞かせください。
滝澤氏:今、他の国々が難民の受け入れ問題で揺れている一方、日本では多額の支援のみでほとんど難民を受け入れていません。
その背景には、本当の難民ではなく、日本で働きたい外国人が難民制度を乱用していることから、申請から受理までの審査が厳しくなっているという問題もあります。地理的にも、制度的にも本当に困っている難民たちが来にくい国なのです。
日本は、世界的にみても例外的と言えるほど豊かな国です。でも、難民を受け入れることは、世界の「現在」を知り、考えるきっかけになります。そういう国になって欲しいと思っています。
佐藤氏:弁護士時代、日本で暮らすカンボジア難民の家族間で起こった悲劇的な事件を担当したことがありました。
なぜ、虐殺を逃れて日本に来たのにこのような事が起きてしまったのか。難民にとっての日本とは、生きにくい国なのではないかと考えるきっかけになりました。
<来場者からのQ&A> Q:日本はあまり難民を受け入れていませんが、国民レベルでできることはありますか? 滝澤氏:まずは、「共生社会」について考えることです。人種だけではなく、身体に障害を持つ方、 自分と異なる全ての人の違いを認めるということを身に着けることが必要なのではないでしょうか。 ポゴシャン大使:今年は、アルメニア虐殺から100年、日本も戦後70年。国連ができて70年。 「平和」について考える1年でした。戦争、虐殺では多くの人々が困り、亡くなり、何世代にも渡り大きな傷跡を残しています。 私は、平和の礎は、異文化そして異なる歴史を学ぶことだと思います。インターネット検索で浅く知ることはできますが、 そうではなく深く学んでほしいと思います。互いに語って文化が繋がっていくことこそが平和の礎になると考えます。