公開初日の12月20日(土)、上映劇場の新宿シネマカリテにて、ゲストに日本人初の宇宙飛行士となった秋山豊寛氏のサブクルーを務められ、ガガーリンと同じ訓練センターで飛行訓練を受けたことがある菊地涼子さんをお迎えして、公開記念トークショーを開催しました。菊地さんが持参した、ガガーリンの生家を訪れた際に撮った写真や、生前のガガーリンと彼の家族写真などを交えながら、ガガーリンについての知られざる逸話を語られました。

「ガガーリン 世界を変えた108分」公開記念トークショー レポート
会場: 新宿シネマカリテ
日時: 12月20日 (土)
ゲスト: 菊地涼子氏(「NPO法人子ども・宇宙・未来の会」理事)
MC:新井総(宇宙食堂 主宰)

映画の感想
「映画の中のガガーリンが、人類初の宇宙飛行を成し遂げた偉人、雲の上の人、ではなくて、たくさん悩んだり苦しんだりしてきた等身大の人間としてとてもいとおしく感じられた。いろいろな事実を丁寧に積み重ねてあって、リアリティがとても胸に迫るものがありました。
こうして皆さんと、感動を共有できることを嬉しく思います。ガガーリンと彼の周りにいた人たち、家族や技術者たちや仲間たちの並々ならぬ苦悩を知っていただき、ガガーリンの精神を心に持っていただければ嬉しいです。」

星の街=ガガーリン宇宙飛行士訓練センターの話
「映画の中にも雪景色の星の街で、軍服の宇宙飛行士たちが陽気に歩くシーンがありましたが、星の街は半年近く雪に覆われます。この町を最も象徴しているのは、高さ4mほどある、ガガーリンの像です。この像のガガーリンは宇宙服ではなく、労働者の作業着を着ています。ガガーリンの、特別な人間のような顔をしない、飾らない人柄を表しているそうです。それから左手を後ろに回して、その手の中に何か持っています。何だと思いますか? 一輪の花です。平和を望む気持ちを表しています。星の街を案内してくれる人は、必ず、このガガーリンの像が労働者の作業服姿で、後ろ手には花を持っている、ということを説明します。
このガガーリンの姿が星の街の誇りです。
宇宙飛行士たちは、自分が宇宙へ行く前と、宇宙から帰還した後、みんなそろってこのガガーリン像に花を手向けるセレモニーを行います。」

ガガーリンの生家に訪れた話
「モスクワから車で3時間ほど行ったクルシノ村という所にあるガガーリンの生家を訪ねたことがあります。ここはナチス・ドイツに占領され、ガガーリンの家もナチスの兵士が一家を追い出して住み込んでいました。ガガーリン一家は、自分の家の裏手に土を盛った小山を作って、そこに洞窟のような穴を掘って暗い狭い空間に暮らしていました。こんな穴倉の中でも、きちんと丸太を組んで、二段ベッドが作ってありました。狭い寝床で2〜3人一緒に寝ていたのではないかと思います。ガガーリンのお母さんは、子どもを食べさせるためだけに汲々としていたわけではありませんでした。貧しい生活、しかも戦時中の苦しいさなかでも、子どものために本を調達してきたそうです。しかも自分の子供だけでなく近所の子どもも集めて本の読み聞かせをしてあげるような、教育にも一生懸命な子ども思いのお母さんでした。お父さんも誠実な働き者で、家の中の調度品やかまど、納屋の中にも、丁寧に手作りされた物がいろいろありました。
それと、私がロシアで訓練を受けていた際、たまたま同じアパートに住んでいたガガーリンの未亡人を何度かお見かけしました。彼女は全身真っ黒な服装をして、真っ黒な大きな犬を連れていました。“私にかまわないでください、そっとしておいてください。”と全身で語っておられるように感じました。映画を見ながら、星の街での未亡人の様子が思い出されて、とても切なくなりました。」

設計技師長コロリョフの話
「コロリョフも実は大変な苦労人でした。若いころからロケット作りを夢見て仲間とがんばっていたのですが、独裁者スターリンが支配する大粛清の時代で、あらぬ罪を告発されて収容所で○年を強制労働させられたことがあります。結局彼の技術が必要だということで呼び戻されてロケット開発にまた携わるわけですが、逮捕されて拷問を受けた際にアゴを砕かれてアゴが曲がってしまうんです。晩年、大腸の手術のために口からチューブを入れなければならないというときに、アゴが変形して口があまり開かないためにチューブを入れられず、死につながってしまいました。この臨終の床に、コロリョフはガガーリンを呼んで、看取ってもらったんです。2人ともたくさんのつらい経験をしながら同じ夢を実現させ、説明できないような固い絆があったんだと思います。」

菊地涼子さんプロフィール
1964年東京生まれ。1987年東京外国語大学卒、TBS入社。
報道カメラマンを経て、1989年から1990年にかけて「宇宙特派員」(秋山豊寛飛行士のサブクルー)を務める。ロシアのモスクワ郊外にある「星の街・ガガーリン記念宇宙飛行士訓練センター」にて基礎訓練を受け、1990年12月、宇宙飛行士として認定を受けた。その後、外信部、報道局モスクワ支局、社会部(科学技術・環境担当)、報道番組を経て2000年退社。認定NPO法人「子ども・宇宙・未来の会(KU-MA)」理事。一男(11才)の母。