9月28日(土)より1週間限定公開のドキュメンタリー映画『ビートルズと私』初日トークイベントを開催しました。約140席の会場は満員となり、上映後のトークショーでは、ビートルズのメンバーそれぞれのキャラクター分析や、本編中にも紹介されていた豪華なミュージシャンとの交流秘話等、盛りだくさんの内容で、観客からの笑いが絶えない、熱量の高いイベントになりました。

日程:9月28日(土)
時間:19:00上映回(上映時間:85分/トーク開始:20:25!〜)!
場所:シネマート六本木!(港区六本木3,8,15)
登壇者:萩原健太(音楽評論家)、 藤本国彦(元『CDジャーナル』編集長)!

萩原氏は開口一番、「僕はどちらかというと、ビートルズより、ブライアン・ウィルソン(ザ・ビーチ・ボーイズ)の大ファンなので、これはブラインのインタビューの箇所、とても興味深く楽しみました。」と会場に集まったビートルズファンに、軽いジョブを打つと、藤本さんは「大丈夫です。僕は、今日『リボルバー』(ビートルズの7作目のオリジナル・アルバム)のTシャツ着てきましたから。」と優しいサポート発言をして会場を和ませた。ブライアン好きな萩原さん曰く「当時のビートルズは、ブライアンの影響を受けており、特にポールのベースラインはブライアンの影響でとても変わったラインを挑戦していた。いろんな意味でポールは“(愛すべき)困った人だ。”誤解を招くので言っておくが、一番好きなメンバーは、“ポールだよ!”」と言及。また「Let It Be」の収録映像で、ポールがジョージを叱るシーンを回想、藤本氏が分析追求すると「あの当時は、ジョンもポールと一緒になってジョージに弾き方を指南している。ジョージは律儀な性格だから、ホワッとした演奏ができなくて、みんなから指摘されているですよ。」と分析。また本編で様々なアーティストがビートルズ・メンバーの話しを回顧してくれているが両氏が「ポールに関する話しはあまり面白くないよね。彼はそつがないのか、穏やかで優しい話しが多い。その場にいる人達に気を使ってくれる良い人なんだけど、人間として“破綻”がない!(笑)」と分析、「リンゴは明るい!実は70年代に奥さんとこっそり日本に来ていて、へべれけに酔っぱらっていたらしい。どうやら、暴飲はこの頃には…。」と話すが、やはり二人の見解の一致として「やっぱり、ジョンでしょう。あの人は、真っ正直すぎて全ての感情が出ちゃう。

だから、人や時期によって印象が違ったり、キャラクターが異なる気分屋。めんどくさい感じ。」とバッサリ。「とは言え、彼こそ愛すべきキャラクターで、(本編中に出て来たジョンの当時の愛人)メイ・パン曰く『彼は、ハイとロウの時しか本領を発揮しない。』それ以外は“創作能力ゼロ!”な感じがジョンの面白いところ。」など、各メンバーを分析。
また、ジョンとヨーコの関係性として「ジョージが以前に指摘した通り、“怠け者、いつも寝てばかり”のジョンは、実はヨーコさんの存在がジョンの創作活動に大きく影響が与えていた。ヨーコさんといた時期は思考的にも思想的にも過激になっていたが、晩年には“レーガン大統領を支持していた”と噂されるほど、保守的な思考にもなっていたんだろうな、というジョンの変動ぶりは「ダブル・ファンタジー」などの曲からも、少し垣間みれる。」と当時の曲風と重ね合わせて解説。「この映画を観て、実はジョンは保守的に方向転換したのではなく、年をとってからは、昔のジョンに戻っただけなんじゃないか、と確信した。」と両氏の見解が一致した。

また、本編に出て来たアート・ガーファンクルのコメントが“超意味深”だということに言及。1975年のガーファンクルの再結成時に、ポール・サイモンとポール・マッカートニーの間で例(“ガーファンクルとビートルズの奇跡のコラボレーション”)の話しが浮上していた噂が(この映画を観ると)あながち本当の出来事だったのでは、ということが確信されたという両氏の分析が一致。ただし、そのタイミングでジョンとヨーコが倦怠期(“失われた週末”でジョン・がメイ・パンと同棲していた時期)を終えて再会、また二人の独自路線が復活した時期だったので、この企画は叶わずだったんですよね。」という結論に至った。

最後に、両氏が特別に持ち込んでくれたお宝モノを披露。萩原氏は、本作の監督であり、自らがミュージシャンであるセス・スワースキー氏のDVDを2枚を紹介、如何にビートルズに影響されているかを解説。一方、藤本氏は2002年頃に来日したクラウス・フォアマンの取材時に特別にサインをして頂いた日本版アルバムの「リボルバー」とそのクラウス氏を撮影したカメラマンの岩瀬陽一さんの写真を12枚ほどを紹介。会場のファンからは、低い歓声が上がった。

今週1週間限定上映とあって、両氏は「この映画が何度も観ないといけないから、
大変。また映画館に来ないと。」と述べ、会場の笑いを誘った。