映画『誰も知らない基地のこと』津田大介氏が語る、基地問題と原発問題
映画『誰も知らない基地のこと』の劇場トークショーを開催致しました。
ゲストはジャーナリストの津田大介さんです。
基地問題の情報としての伝えられ方、原発問題との類似点、そして基地問題において反対側がどうかわっていくべきかをお話頂きました。
●4月8日(日)シアター・イメージフォーラム
津田大介:たまたま先月、沖縄に行ってきたんです。普天間の見える高台の公園とか。映画にもありましたけど、保育園のところでひたすら飛行機やヘリコプターが飛んでいて、本当に人が住んでいるすぐ近くに基地があってすごくインパクトがありました。映画のタイトル『誰も知らない基地のこと』というように、本当に僕らが知っているようで知らないことで、それを伝えるのにとてもいい映画だと思いました。沖縄のことは(日本人みんなが)当事者であるのに、なぜ当事者のように感じられていないのかはメディアの責任でもあると感じました。
沖縄における基地のシステムと原発のシステムが、とても似ている点について、がれきの公益処理すごく象徴的です。限定的にいうのであれば、女川などでは100年分のがれきが出ています。女川は平地が少なく、住宅地の上にがれきが積みあがっている。それを片づけなければいけないのに、放射線物質が全国にばらまかれてしまうという恐怖感もあります。大変なところをどうシェアするのか、汚染されたがれきをどうするというのを誰も答えが出せないなかで、ある意味、答えっていうのはひとつしかないんですよ。20キロ圏内に放射性廃棄物の最終処理場を作るしかないんじゃないか。恐らく政府のほうでもそうしなければいけないという結論になっているんだけれども、それを明言してしまうと全てそれを福島に全部押しつけていいのかという問題にもなる。メディアの中でその話をしなければいけないはずなのに情報の出し方を含め、できないんですよね。もしかしたら除染することによって還るかもしれないっていう希望が残っている。はっきり言って20キロ圏内はもうほとんど還らないです。原発事故も基地問題を日本みんなで解決しなければいけないと震災直後はそういう気持ちになっていたのに、解決していこうっていう段階になって物事が進まないとバラバラになってしまう。
簡単に解決できないっていうときに、それを見ている人が怒りを別のところに向けている。福島県民は原発を誘致してオイシイ思いをしていたんだから自業自得とか、沖縄に対しても同様に言う人がいる。反対運動をすればするほど土地の値段が高くなって、利権になっているだろう、とか。ある一面はそうかもしれない。でも多くの人はそうではないという中で、本来、民主主義にのっとるのであればシステムや国、アメリカに怒りや批判の対象が向かわなくてはいけないのに人が人を非難するような状況になっている。それは、権力者の思うつぼ。そうさせているのは国と一体化しているメディア。国にとって都合のいいことしか伝えない。
そのほうが簡単なんです。基地反対運動を抑えてる人がいましたが、彼らにとっては仕事なんです。ただ淡々とこなせばいい。反対側はいずれ高齢化して、いなくなる。もしくは疲れてバラバラになってしまう。ずっと持続しなければいけないけど、人がそうやって繋がれるのはせいぜい3年が限界ですから、その間だけやっていればいいわけです。
だからといって諦めてはいけない。沖縄の基地問題は沖縄だけの特殊な問題じゃない。基地問題自体がどう、当事者意識として想像してもらえるように伝えるのかが大事。自分たちに全て正しさがあるっていう言い方は伝わらない。映画の中で島袋さんの話は心に響いたけど沖縄出身の方でも基地問題は遠い話という人もいて、沖縄の中でも共有意識ができていないわけでしょう。
じゃあ、どういうふうに共有するのか?例えば、基地が移設する場所にジュゴンがいて、危険にさらされているけど、ジュゴンは貴重な観光資源になり、経済的に潤うという対案を示し、基地反対するだけじゃなく未来につながるビジョンを出していかないと続かない。僕自身も政策や提案をしたりしているけど、やはり難しい。だけど、言い続けて、無視できない存在になっていけばいい。
僕の好きな言葉、森毅さんの言葉なんですけど、「正しさは伝わらないけど楽しさは伝染していくんだ」って言っていたんですね。イタリアのデモって楽しそうでしたよね。ドイツの反原発デモでは、来た人に楽しんでもらうことを考えてやっているんです。継続してやっていって共有していくために。これは日本人が一番苦手とすることかもしれない。楽しさを増やしていくことが大事だと思います。