ただ今、東京国立博物館におきまして、特別展「手塚治虫のブッダ展」が開催中です。特別展「手塚治虫のブッダ展」の開催記念といたしまして、本日仏像ガール(R)こと廣瀬郁実さんをお迎えしまして、4月30日(土)に講演会を行いました。

■特別展「手塚治虫のブッダ展」公演会&トークセッション

【場所】
東京国立博物館 本館特別5室

【講師】
廣瀬郁実<仏像ガール(R)、仏像ナビゲーター>
松本伸之氏<東京国立博物館 学芸企画部長>

■仏像ガール 講演会「ブッダと仏像 〜インドの風を感じよう!〜」

●廣瀬郁実<仏像ガール(R)、仏像ナビゲーター>
たくさんの仏像がありますが、観音様とかお釈迦様のように悟りを開いた方を、如来様といいます。お釈迦様の素晴らしさ、尊さを込めて作られたものが仏像なのです。私達と違うということがわかるように、悟りを開いた如来様には、水かきがあります。仏像は、体のあちこちを使って私達へ語りかけてくれているのです。水かきも仏様からのメッセージなのです。

私達が水を手のひらですくうと、ポタポタとこぼれてしまいます。しかし、仏様が水をすくうと、水かきがあるのでためることが出来ます。誰一人、自分の救いから誰一人として漏らさないというメッセージなのです。

私は昨年の12月から今年の1月にインドへ行ってきました。そこで見たタルチョ、お釈迦様がお生まれになられたルンビニー、悟りを開いたブッダガヤ、インド国立博物館で様々なものを見たり、出会ったり、本当にお釈迦様はいらっしゃったんだなと思えることがたくさんありました。

お釈迦様は、どこか空想の人、遠い遠い存在の人だというイメージをもっていましたが、お釈迦様は、私達と同じ人間なのです。
たった一人の人間がしてくれたこと、残してくれたことを、長い年月をかけ多くの人々が、心や命をかけて伝えてきてくれているのだと菩提樹の下で感じ、すごく感動しました。

お釈迦様が当時どう言われたかは、誰にも分かりません。いい行いをしたい、他人を助けたいと思うことは素晴らしいことですが、まず自分を大切にすること。そうすることで、人を大切にすることが出来るのだとおっしゃっているのです。

自分が嫌だと思う環境に近づかないこと、自分自身が他人の言葉や情報に惑わされることなく、自分自身を見失わないように、常に自分を平穏な位置に保ちなさい、つまり正しく生きなさいと仰っています。仕事に追われついつい自分を大切にすることをないがしろにしがちですが、まずは自分を大切にしていただきたいと思います。

■対談 特別展「手塚治虫のブッダ展のたのしい見かた」

●廣瀬さん:
私は、手塚先生のブッダが大好きで愛読していました。私が読んでいたのは単行本で、会場にある原画を見てビックリしました。5月に公開される映画があるので見てほしいとお誘いを受けたのが、今年の1月。

ちょうど私がインドから帰って2日後に、試写会で見せていただきましたが、すごく感動しました。漫画から映画になる際に、がっくりすることが多々ありますよね。それは否めないことだと思います。
きっとそれぞれの人に、それぞれの思いがあるが故だと思うのですが、ブッダという1人の人間、私達と同じ1人の人間が悩み苦しみながらも生きてきたということを、今の私達が知ることが出来る機会をつくっていただけたということに感動しました。

私達の若い世代は「ブッダ」の文庫版は見ていますが、会場に展示されている当時のカラーの表紙のものは一切見たことがないと思います。すごく心が奪われました。修正液で直しているのがすごく珍しかったです。生で見るとこんなに違うものなのかと思いました。

そして、会場にジュニアガイドが設置されているのですが、これにしか載っていないスペシャルな写真もありますので、ぜひ見に来ていただきたいなと思いました。

●松本さん:
手塚先生の「ブッダ」は、ずいぶん昔に、兄も読んでおり、それを譲り受け読んでいました。昨年12月に14巻で復刊しましたね。仏像ガールさんのご要望でもあるので普段裏話はしないのですが、今回の特別展は、異例中の異例なんです。

今回の企画の準備期間は、6ヶ月。通常であれば、3〜5年をかけて準備するものなんです。昨年、東映さんより5月28日に『手塚治虫のブッダ−赤い砂漠よ!美しく−』というアニメ映画を公開することになり、「手塚治虫のブッダ展」を企画できないかというお話を頂きました。お話を受け、さぁ、困ったなと。

東京国立博物館は、来年140周年を迎えますが、未だかつて漫画を展示したことがなかったんです。様々な企画責任者として、さてどうしたものかと悩みました。
普段は、担当者が企画を練って挙げてきたものを、「いいんしゃないの」とか言っている立場なんです。しかし、立場が逆転して、私から前代未聞の企画を提案することになったのです。

東京国立博物館は、別に堅苦しいところではないのですが、歴史とか伝統文化を抜いては出来ないという部分があり、我々にも存在意義があるので、もう一度企画を考え直したときに、ブッダ、仏像、仏教であるならば…、漫画と仏像を並べてみてはという考えにいたりました。

これは、東博にとっては、ものすごくたいしたことなのです。
実現するように様々な策を考えている中で、うまくコラボできるのではというところからスタートしました。手塚先生の原画と仏像をただただ比較しても、似ているな、同じ場面だなと思われてしまうと、展覧会として奥深さや意義がなくなってしまうのです。

漫画は興味あるが、文化財はあまり得意ではない方、逆に文化財に興味はあるが、漫画はあまりという方がこの企画展にご来場いただき、双方から歩み寄り満足していただけるものにするということが、私達の中の命題でした。

手塚先生のブッダは、お釈迦様の生涯を仏典、美術作品を参考にして描かれているのだろうと感じました。ブッダの生涯をストーリーとしてお客様に見ていただくときに、漫画と仏像と一緒くたにして見せるだけだと、あまり良い展覧会ではない。むしろそれよりも、漫画のいいところと仏像のもついいところを、それぞれどう組み合わせていくのかが重要でした。漫画も文化財も、印刷してしまうとその作品がもつ本来の良さが半減してしまいます。

手塚先生の原画のもつペンや筆で描かれた質感は生で見ないと解らないと思います。印刷してしまうとシンプルな線になってしまうからです。
手塚先生は、何度も何度も線を重ねて描き太い線にしています。
色の使い方や細部に至るところまで入念に描かれています。
今回、直筆の原画を見て、手塚先生の力量を肌で感じました。

皆様も見ていただくとお分かりになると思いますが、手塚先生の「ブッダ」では、ブッダの誕生から涅槃までが描かれおり、仏典では、誕生する前の前世から納棺までが描かれています。

原画を主としながらも、十分に描写できていないなと思うところを、仏像で補うように展示しました。ですので、この会場では、現代の手塚先生の思われたブッダ、2〜3世紀から16世紀頃の各地で作られたブッダのイメージとなる仏像を配置しています。

私達は、3月に入り未曾有の自然の驚異を受けました。絶えず仏教が根本としている仮題が、この世に満ちている苦しみ。ブッダが説いたこと、教えたことは、生まれること、老いること、病むこと、死ぬこと。
誰もが避けられないことを苦しみとして捉える。ただ苦しみとして捉えるのではなく、そこからいかに精神、心を開放するか、囚われずにいい行いをし、いい言葉を使う、ある意味で道徳的なのです。

私達を取り巻く苦しみを乗り越えて、いかにいい人になれるか、他人に慈しみの心を持てるかということは、はるか数千年の年月を経ても我々にとっても大切なことなのだと教えてくれるのです。